モロラン場所(読み)もろらんばしよ

日本歴史地名大系 「モロラン場所」の解説

モロラン場所
もろらんばしよ

一九世紀初め頃に現室蘭市崎守さきもり町付近の海岸を中心に新設された場所(持場)名。当初はヱトモ場所のうちで、天保郷帳に「モロラン持場之内 モロラン」とある。西はチマイヘツ川(現在の室蘭市と伊達市の境であるチマイベツ川)をもってウス場所に、東はチリベツ(現在の室蘭市と登別市の境である鷲別川)をもってホロベツ場所に接する(場所境調書)。一七九九年(寛政一一年)の東蝦夷地幕府直轄地化に伴い、北辺警備上モロランは陸上交通の要地となり、幕府はこの地に通行屋を新設し、役人支配人番人アイヌを常駐させて止宿、継立を行い交通の利便を図った(新室蘭市史)。一八〇〇年六月一七日(往路)伊能忠敬はモロラン仮家に泊まり、陸地通行でホロベツに向かったが、「山へ登、海辺に出、山に登、海辺に出、又山にかゝり、峠を三つ程越え原を行、鷲別の山中に而中食」と記し、同年九月五日(復路)に半島を経てヱトモ会所に止宿し、「江友出立、モロランに渡海」したが、この時期はまだヱトモが中心地であった(測量日記)。〇五年(文化二年)弘前藩士の山崎半蔵は「モロラン、夷家三、会所は今年建立の体なり、詰合同心立原仁兵衛」と記した(「松前下蝦夷地紀行」市立函館図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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