ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤクボーフスキー」の意味・わかりやすい解説
ヤクボーフスキー
Yakubovskii, Aleksandr Yur'evich
[没]1953.3.21. レニングラード
ソ連の東洋史学者。 1935年レニングラード大学教授に就任。考古学の発掘成果と文献資料との両面から中央アジア,西アジアの社会経済史,宗教,美術などを研究。 47年からタジク・ソグド考古学調査隊長としてピャンジケントを発掘。主著『金帳汗国史』 Zolotaya Orda i ee padenie (1937) ,『古代ピャンジケントの絵画』 Zhivopisi drevnego Pyandzhikenta (54) 。
ヤクボーフスキー
Yakubovskii, Ivan Ignat'evich
[没]1976.11.30. モスクワ
ソ連の軍人。工業専門学校,陸軍士官学校を卒業。 1937年共産党に入党,軍に勤務。第2次世界大戦中,戦車軍団長代理などとして活躍,ソ連軍英雄の称号を2回受けた。 48年参謀本部大学卒業後戦車師団長などを経て,60年4月東ドイツ駐留軍総司令官,62年4月上級大将。 65年2月キエフ軍管区司令官。 67年4月国防第一次官兼ワルシャワ条約統一軍総司令官,ソ連邦元帥。 61年の第 22回党大会で党中央委員に選ばれた。
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