ラーバント(その他表記)Paul Laband

改訂新版 世界大百科事典 「ラーバント」の意味・わかりやすい解説

ラーバント
Paul Laband
生没年:1838-1918

ドイツ第2帝政期における代表的な公法学者であり,明治以来の日本の憲法学に圧倒的な影響を与えた。もともと商法の講座を担当していたが,自由主義の退潮期の1860年代にビスマルクの保守的政府と自由派の間で生じたプロイセン憲法紛争が,公法学の流れを変えたとき,彼は新潮流の旗手となり,その後ビスマルク憲法ともいわれる帝国憲法施行の下で,《ドイツ帝国国法論》全3巻(1876-82)を公にし,ビスマルク体制での有権的解釈の地位を獲得した。彼は,19世紀前半に支配的であった自由主義的法治国家論,ヘーゲル的観念論,さらに社会政策を取り入れた政治的国法学からの公法学の転換を試み,私法学の分野で培われた〈法学方法論〉によって,公法学の再構成を図った。かくて法治国家の外見をそこなうことなく,国家権力が実行しうる法律学的な判断枠組みを提供し,政党政治や議会主義から超越した,政治的中立をめざすビスマルク体制下の近代官僚の思考に適合した処方箋をつくりあげたといえよう。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラーバント」の意味・わかりやすい解説

ラーバント
Laband, Paul

[生]1838.5.24. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1918.3.23. ストラスブール
ドイツの法学者。 1864年ケーニヒスベルク大学教授。 80年エルザス=ロートリンゲン国会議員,その後,枢密顧問官。ビスマルク体制下のドイツにおいて法実証主義的,概念法学的な国法学の体系を樹立した。日本の明治憲法体制の確立に与えた影響も大きい。主著プロシア憲法規定による予算法』 Das Budgetrecht nach den Bestimmungen der preussischen Verfassungsurkunde (1871) ,『ドイツ帝国国法論』 Das Staatsrecht des deutschen Reichs (76~82) 。

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世界大百科事典(旧版)内のラーバントの言及

【憲法変遷】より

…(1)制定憲法の運用の変化を意味する場合と,(2)制定憲法に反する実例(法律,慣行)が存在するとき,一定の要件(当該実例が長期間通用し,かつその実例を承認する国民の法意識が確立していること)が満たされた場合には,違憲の実例が憲法規範の性格を獲得し,制定憲法を改廃するということを意味する場合,の二つの用法がある。憲法変遷という言葉を最初に使用したP.ラーバント(19世紀末の帝制ドイツの公法学者)のもとでは,この言葉はもっぱら(1)の意味で用いられ,違憲の実例が制定憲法を改廃するかどうかという(2)の問題は,当時のドイツでは憲法慣習法の問題として論じられていた。しかし,その後,この言葉は,変遷現象の体系化を試みたイェリネックのもとで憲法慣習法論と部分的に結合し,かような変遷論が美濃部達吉により日本に紹介されたこともあって,今日の日本では,この言葉はもっぱら(2)の意味で用いられている。…

※「ラーバント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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