改訂新版 世界大百科事典 「プロイセン憲法紛争」の意味・わかりやすい解説
プロイセン憲法紛争 (プロイセンけんぽうふんそう)
Preussischer Verfassungskonflikt
1860年プロイセン政府は,3年現役制の実施をふくむ軍備増強・軍制改革案を提示した。当時,下院の多数派であった自由主義者たちはこれに反対し,政府と下院の激しい対立へと発展した。その背景には国王に直属し議会から完全に独立した軍隊か,議会の統制下(とくに軍事予算の決定権を議会のもとにおく)の軍隊か,という対立があった。このことはプロイセン憲法体制の性格とあり方をめぐる対立へと発展した。さらに自由主義者左派グループによるドイツ進歩党Fortschrittsparteiの結成(1861)とビスマルクの首相就任(1862)は,下院と政府の対立をいっそう激化させた。この紛争は,普墺戦争の勝利によって軍備拡張の成果が示されたことによって鎮静化し,ドイツ進歩党は分裂し,ビスマルク与党の国民自由党Nationalliberale Parteiが結成された。
執筆者:望田 幸男
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