日本大百科全書(ニッポニカ) 「プロイセン憲法紛争」の意味・わかりやすい解説
プロイセン憲法紛争
ぷろいせんけんぽうふんそう
Verfassungskonflikt ドイツ語
プロイセンの軍制改革をめぐり、政府と下院との間に起こった政治上の争い。1860年陸相ローンは軍備増強のため軍制改革案を下院に上程した。議会多数派はこれに反対、予算審議権を盾に、軍隊に対する議会の発言権を強めようとした。王と政府は61、62年相次ぐ議会の解散により反対派を抑えようとしたが、選挙ごとに反対派が躍進、政府は窮地に陥った。62年9月、ローンの推薦でビスマルクが首相に就任。以後彼は「鉄血政策」をもって議会の反対を抑え、軍備増強を強行した。66年、プロイセン・オーストリア戦争の勝利後、ビスマルクは「事後承諾法案」を下院に上程、この紛争を形式的譲歩によって王権に有利に終わらせた。
[木谷 勤]