ラーンナータイ(その他表記)Lannathai

改訂新版 世界大百科事典 「ラーンナータイ」の意味・わかりやすい解説

ラーンナータイ
Lannathai

タイ北部のチエンマイを中心とし,13世紀末から20世紀初頭まで存続したタイ系民族の王国。また北部地方に形成されたこれらの民族の伝統文化はラーンナータイ文化と呼ばれる。ラーンナータイは〈水田百万のタイ〉を意味するといわれている。中国では元代以来,〈八百〉の名で知られていた。主要民族はタイ・ユアン族で,〈ムアン(城市)の人〉を意味するコン・ムアンとも呼ばれる。そのほかにタイ・ルー,タイ・クーン,タイ・ニョーン,タイ・ヤイ(ギオ)などのタイ系民族が含まれる。これらの民族の言語は互いに親縁関係にあるが,同じタイ語族でも南方シャム族の言語とはかなり異なる。彼らは中国雲南省のシプソーン・パンナーのタイ・ルー族と共通する固有の文字をもっているが,タイ・ヤイ族は別個の文字を発達させた。ラーンナータイ王国は,タイ・ユアン族のマンライ王が,1292年に現在のラムプーンにあったモン族の国家ハリプンジャヤ(ハリプンチャイ)を滅ぼし,96年にチエンマイに王都を建設したときに成立した。ラムパーン,プレー,ナーンなど,北部タイの山間盆地の大半を支配したが,きわめて地方分権的な性格をもっていた。16世紀中ごろから18世紀末までビルマ(現ミャンマー)の支配下におかれたが,1781年カーウィラ王によって独立を回復した。20世紀初頭には,南方のラタナコーシン朝バンコク朝とも呼ばれ,タイの現王朝)シャムに併合され,その地方統治の一環に組み込まれた。しかしこの地域には,古くから特異な仏教芸術やパーリ語文学が栄え,今日にいたるまで,中部や東北部タイと異なる伝統文化の定着がみられる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のラーンナータイの言及

【八百媳婦国】より

…中国の元・明両代,雲南辺外にあった土侯国。タイ北部のチエンマイを中心に初代マンライ王が1296年に創建したラーンナータイLannathai王国の,中国での呼び名である。国名は,その首長に800人の妻があり,そのひとりひとりが一つのとりで(寨)を領していたので,八百媳婦国と呼ばれたという。…

【チエンマイ】より

…またウルシの産出は,チエンマイの伝統産業である漆工芸の発達をもたらした。チエンマイは,タイ・ユアン族のマンライ王が,モン族のハリプンジャヤ(ハリプンチャイ)王国を奪取して開いたラーンナータイ王国の王都として1296年に建設された。この王国は16世紀中葉からビルマ(現ミャンマー)の支配下におかれたが,18世紀末には再び独立し,20世紀初頭にシャム王国(現在のタイ国)に併合されるまで存続した。…

※「ラーンナータイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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