日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルトロ」の意味・わかりやすい解説
ベルトロ
べるとろ
Pierre Eugène Marcellin Berthelot
(1827―1907)
フランスの化学者、化学史家。医師を父としてパリに生まれる。ラテン語韻文詩の読解など、若いころから優れた語学的才能をみせていたが、1846年には哲学の作文で全国一等の賞を受けていることからも、早熟の少年であったことがわかる。コレージュ・ド・フランスでは、医学専攻であったが化学研究に熱中した。1859年に薬物学校École Supérieure de Pharmacieの教授となり、1864年から晩年まではコレージュ・ド・フランスで教授職を務めた。
ベルトロの化学的業績は、主として四つの方面から化学の進歩に貢献したことにある。第一に、無機物から有機化合物の合成(synthèseこの表現は彼の創始による)を可能とする理論的下地をつくったことである。これにより化学界から安易な生気論的発想が放擲(ほうてき)された。第二に、質量作用の法則が定式化される以前の段階で、反応速度の重要性を訴えたこと、第三に、熱量計を利用して、化学反応前後の熱の収支を測定したことであり、発熱反応、吸熱反応といった、熱化学の基礎となる概念をつくりあげたこと、があげられる。このほか、グリセリンの組成を研究して、それが三価アルコールであることをつきとめたことなど、数多くある彼の仕事のなかでも、最後に言及すべきものは、化学史の分野における彼の活躍である。ベルトロは、1884年以降、錬金術文献の歴史的研究に精力を注ぎ、錬金術師たちが、古代エジプト冶金(やきん)学の文献を誤読していたという見解を明らかにした。さらに、通常、同一人物であるとされることが多かったアラビア錬金術師ジャービル・ビン・ハイヤーンと、ラテン名でよばれるゲーベルとは別人物であることもその著書『錬金術の起源』Les origines de l'alchimie(1885)のなかで指摘している。考古化学、熱化学、農芸化学など多くの分野に優れた足跡を残した後の晩年は、教育行政や科学論関係の書物を物している。
[井山弘幸]
『田中豊助・牧野文子訳『錬金術の起源』(1973・内田老鶴圃新社)』