実証主義(読み)じっしょうしゅぎ(英語表記)positivism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「実証主義」の意味・わかりやすい解説

実証主義
じっしょうしゅぎ
positivism

経験的事実にのみ立脚し,先験的ないし形而上学的な推論を一切排除する哲学立場。狭義には A.コントの哲学をさす。実証主義の名は,自然科学の方法を哲学に適用しようとしたサン=シモンに始り,コントが実証哲学として確立した。その淵源は J.ロック,D.ヒューム,G.バークリーらのイギリス経験論と,ボルテール,D.ディドロらのフランス啓蒙主義の唯物論にあるが,背景には自然科学の急速な発達と工業社会の成立がある。ロック,ヒュームは形而上学を認め,ロックとバークリーは霊と神に関する知識を認めたので,実際には留保つきではあるが,一般的な意味では経験論の哲学者も含まれ,J.S.ミルの経験論もその意味で実証主義である。
神学的および形而上学的な疑問が起っても,実際には人間の用いることのできるいかなる方法であろうとそれに答えることができない,と経験主義者は考えていた。しかし,他の実証主義者たちは,そうした疑問は意味がないとして退けた。この第2の見方が,プラグマティズム論理実証主義,さらにバークリーとヒュームにみられるような経験に基づく意味の検証につながった。実証主義は科学の成果を強調するが,経験に基づく方法では答えられないような疑問は科学のなかからも起る。 E.マッハはそうした論理的な疑問に経験的意味をあてはめ,理論をそれに対する証拠に関係づけようとした。コントは,人間の思考は必然的に神学的段階を経て形而上学的段階に達してから,実証的ないし科学的段階に達するとし,宗教的衝動は啓示宗教が衰退しても生残り,目的をもつはずであるとして,人間の崇拝の対象は教会と暦とヒエラルキアであると考えた。コントの弟子の F.ハリソン,R.コングリーブらはそうした教会をイギリスで見出したが,宗教を容認する傾向のあるミルはコントの体系を否定した。
実証哲学はフランス革命期の代表的哲学となったが,1870年代には科学の根底としての経験自体がマッハ,R.アベナリウスによって問題とされるにいたった。さらに 20世紀初頭には,B.ラッセルらの記号論理学をふまえて,ウィーン学団が論理実証主義を打出し,それは今日のイギリス,アメリカの哲学思想の主流に受継がれている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「実証主義」の意味・わかりやすい解説

実証主義
じっしょうしゅぎ
positivism 英語
positivisme フランス語

サンシモンが初めて用い、コントが採用して以来、有名になったことばとされ、狭い意味ではコント自身の哲学をさすのに用いられるが、広い意味では、経験を重んじ、超越的なものの存在を否定しようとする傾向一般をさす。イギリスの経験論哲学も、広い意味ではこの実証主義に入るし、実地を踏んでこつこつ証拠を拾い上げようとする探偵を「彼は実証主義者だから」とよぶのも妥当な言い方だということになる。自然科学も実証主義的な学問だとされることがある。

 問題は、「経験」という概念が哲学的に問題の多い概念であって、その解釈いかんによって「実証主義」の覆う範囲がいかようにも伸び縮みすることである。実証主義者とよばれる人も多くは数学の有効性を認めるが、現代の数学では、集合という抽象的で一面超越的ともみえる存在を前提している。また、自然科学にも、感覚を通じて直接経験できる範囲を越え出た実在の存在を前提している面がある。こうした数学や自然科学を許容する立場をとると、実証主義者は、敵対しているはずの形而上(けいじじょう)学を整合的に否定することがむずかしくなる。さればといって数学や科学を否定すれば、甚だ狭い立場になってしまう。実証主義はむしろ、19世紀に科学の目覚ましい躍進に目を奪われて伝統的な形而上学に挑戦したくなった人たちの心情を表す歴史的名称としておいたほうがよいかもしれない。マッハやアベナリウスが実証主義者の代表のようにいわれるのも、この観点からであろう。ウィーン学団の思想も、論理の役割を重視する実証主義、すなわち「論理実証主義」とよばれた。

[吉田夏彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「実証主義」の意味・わかりやすい解説

実証主義【じっしょうしゅぎ】

英語positivismなどの訳。この場合のpositivenegativeの対語ではなく,ラテン語positum(神によって定められたもの=事実)に由来するもの。超越的・形而上学的思弁をしりぞけ,超感性的実在を認めず,認識の一切の対象を経験的所与たる事実に限って,思考を推し進めようとする立場。ときに,自然科学の方法を無批判に人間的事象にあてはめる傾向への蔑称として用いられる。コントにより体系化されたが,その源流はイギリス経験論,フランス啓蒙思想のうちに求めうる。コントを承けたJ.S.ミルの思想,デュルケームの社会学,マッハ=アベナリウスの経験批判論,さらにウィーン学団の論理実証主義とこの影響下に展開された英米系の分析哲学が実証主義の代表例。
→関連項目アロンサン・シモン自然主義写実主義注釈学派テーヌデュギーブールジェベリズモ歴史学

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

精選版 日本国語大辞典 「実証主義」の意味・読み・例文・類語

じっしょう‐しゅぎ【実証主義】

〘名〙 哲学で、現象の背後に形而上的な原因を求めるような思弁を排して、事実を根拠とし、観察や実験によって実際に検証できる知識だけを認めようとする立場。フランスの哲学者、オーギュスト=コントによって体系化された。神学的段階を通り、形而上学的段階を経たのちに、ようやくこの学問の最高段階としての実証的段階に到達するという。実験論実証論。ポジチビズム。〔現代大辞典(1922)〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「実証主義」の解説

実証主義
じっしょうしゅぎ
positivism

実験と観察にもとづき,実際に確かめられること以外はすべて疑ってゆこうという社会科学上の立場
イギリス経験論の発展の中からヒュームによって基礎づけられ,フランスの百科全書派によって展開されたのち,コントによって体系的に表明された。近代自然科学の方法と成果に裏づけられて成長した考え方である。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

デジタル大辞泉 「実証主義」の意味・読み・例文・類語

じっしょう‐しゅぎ【実証主義】

知識の対象を経験的事実に限り、その背後に超経験的実在を認めない立場。超越的思弁を排し、近代自然科学の方法を範とする。サン=シモンが初めて用い、コントによって提唱された。実証論。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版 「実証主義」の意味・わかりやすい解説

じっしょうしゅぎ【実証主義 positivism】

一般に,経験に与えられる事実の背後に超経験的な実体を想定したり,経験に由来しない概念を用いて思考したりすることを避け,事実のみに基づいて論証を推し進めようとする主張をいう。positiveという形容詞には,negative(〈否定的,消極的,陰性の〉)と対をなす〈肯定的,積極的,陽性の〉という意味もあるが,それとは意味論的に区別され,negativeとは対をなさない〈実証的,事実的〉という意味もあり,それは次のような事情で生じたものである。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内の実証主義の言及

【社会科学】より

…すなわち社会科学は自然科学と方法的に同じものであるとする考え方(この場合にはノモスが方法的にフュシスとして扱われうるとの前提がおかれる)と,社会科学は自然科学と方法的に同じ意味での科学ではありえないとする考え方(この場合にはノモスをフュシスと同じ方法で扱うことはできないとの前提がおかれる)とがこれである。以下では,前者の考え方を実証主義的社会科学観,後者の考え方を理念主義的社会科学観と呼ぶことにする。
【成立史】
 フュシスと区別された意味でのノモスについての学問(文科系の学問)は,人文学(以下このように〈科学〉の語を除去して用いる)と社会科学とに分かれる。…

※「実証主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

ボソン

ボース統計に従う粒子。ボース粒子ともいう。スピンが整数の素粒子や複合粒子はボソンであり,光子,すべての中間子,および偶数個の核子からなる原子核などがその例である。またフォノンやプラズモンのような準粒子...

ボソンの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android