ルワンダ内戦(読み)ルワンダないせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルワンダ内戦」の意味・わかりやすい解説

ルワンダ内戦
ルワンダないせん

ベルギーの信託統治領時代からの少数派支配民族ツチ人と,1973年7月のクーデターで政権を握った多数派民族フツ人の間で 1990年10月勃発した内戦。ツチ人主体のルワンダ愛国戦線 RPFウガンダからの侵攻発端とし,1993年8月に政府と RPFは和平協定に調印したが,1994年4月6日に首都キガリで起こったジュベナル・ハビャリマナ大統領機撃墜事件をきっかけに再発。政府軍兵士,民兵らがツチ人の虐殺を始めたため,RPFは虐殺阻止と政府転覆をねらって進撃し,首都を制圧して 7月19日に新政府を樹立した。虐殺などによる死者は約 80万人,虐殺の報復を恐れザイールなど国外へ逃れた難民はフツ人を中心に 200万人をこえた。(→ルワンダ大虐殺

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ルワンダ内戦」の解説

ルワンダ内戦(ルワンダないせん)

反政府勢力「ルワンダ愛国戦線(RPF)」の侵攻によって1990年10月に始まり,いったん成立した和平合意が崩壊してツチ人に対する大量虐殺が行われる状況のなかで,94年7月にRPF側の勝利で決着した。独立以降のルワンダでは人口的多数派であるフツ人の一部エリートが政治権力中枢を独占した。RPFは独立前後にルワンダを追われたツチ人の難民を中心に組織されていたが,経済不振や政治的抑圧を背景に支持を広げた。内戦が始まると,政権側はRPFをツチ人と同一視してその抹殺を扇動し,1994年4月の大統領搭乗機撃墜事件を契機として,国内のツチ人とフツ人反政府勢力を組織的に虐殺した。内戦時の人口約700万のうち,50~80万がその犠牲になったといわれる。

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