ロミオとジュリエット(読み)ロミオトジュリエット(英語表記)Romeo and Juliet

デジタル大辞泉 「ロミオとジュリエット」の意味・読み・例文・類語

ロミオとジュリエット

《原題Romeo and Julietシェークスピア悲劇。5幕。1594年または1595年成立。イタリアベローナ仇敵きゅうてきどうしの二名門の子、モンタギュー家の息子ロミオとキャピュレット家の娘ジュリエットとの悲恋物語。
《原題、〈フランスRoméo et Julietteベルリオーズ交響曲。全4部。1839年作曲。に基づく独唱・合唱を伴う標題音楽。ロメオとジュリエット。

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精選版 日本国語大辞典 「ロミオとジュリエット」の意味・読み・例文・類語

ロミオとジュリエット

  1. ( 原題[英語] Romeo and Juliet )[ 異表記 ] ロメオとジュリエット
  2. [ 一 ] 戯曲。五幕。シェークスピア作。一五九四年か九五年頃成立。ルネサンス期のイタリアのベロナで、互いに不和の間柄の名門モンタギュー家のロミオとキャピュレット家のジュリエットが織りなす抒情をたたえた恋と、その悲しい結末を描く。日本での初演は明治三七年(一九〇四)真砂座。
  3. [ 二 ] 交響曲。ベルリオーズ作。一八三九年完成、初演。[ 一 ]に基づく独唱・合唱つきの標題音楽。
  4. [ 三 ] 管弦楽曲。チャイコフスキー作。一八六九年完成。[ 一 ]に基づく楽想による幻想的序曲。
  5. [ 四 ] バレエ曲。プロコフィエフ作曲。一九三五年完成。三八年初演。[ 一 ]に基づく現代の代表的バレエ音楽の一つ。同名の管弦楽組曲もある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ロミオとジュリエット」の意味・わかりやすい解説

ロミオとジュリエット
Romeo and Juliet

イギリスの劇作家シェークスピアの悲劇。1595年ころ作。おもな材源はブルックArthur Brookeの長詩《ロミアスとジュリエット》(1562)と考えられる。ベローナの名門モンタギュー家とキャピュレット家の間には久しく反目が続いているが,前者の息子ロミオと後者の娘ジュリエットは一目で恋し合い,修道僧ロレンスの計らいで密かに結婚式を挙げる。その帰途ロミオはジュリエットの従兄ティボルトを売られたけんかがもとで刺殺して追放の宣告を受け,一夜をジュリエットの部屋で明かしたのちマンチュアヘ旅立つ。その直後,彼女とパリス伯との結婚が両親によって取り決められ,それから逃れるために彼女はロレンスの指示に従って仮死をもたらす薬を飲み,翌日死体として霊廟に安置される。その間ロレンスはロミオに真実を知らせようとして失敗し,霊廟に来たロミオは彼女が死んでいるものと思って毒を仰ぎ,覚醒したジュリエットもあとを追って自殺する。青春を激しく燃焼させる恋人たち,文彩に富んだ華麗なせりふ,加速度的テンポで大詰めに直進する筋の展開は,この抒情的な愛の悲劇をシェークスピアの作品中最も人気の高いものの一つにしている。

 日本では,1886年英文学者河島敬蔵が《露妙樹利戯曲春情浮世の夢》と題して翻訳坪内逍遥の訳も1910年に刊行された。なお,この作品を題材とした音楽に,ベリーニ,グノーのオペラ,ベルリオーズの合唱と管弦楽曲,チャイコフスキーの幻想序曲,プロコフィエフのバレエ曲などがあり,アメリカミュージカルウェスト・サイド物語》も同様の主題を扱っている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロミオとジュリエット」の意味・わかりやすい解説

ロミオとジュリエット
Romeo and Juliet

バレエ作品。序幕と3幕 13場,終幕から成る。台本 S.ラドロフ,A.ピオトロフスキー,L.ラブロフスキー,音楽 S.プロコフィエフ,振付ラブロフスキー。レニングラード・バレエ学校の創立 200年祭のために,亡命後 15年ぶりに帰国したプロコフィエフが作曲したが,当初はハッピー・エンドの結末であったため,上演されなかった。 1938年チェコスロバキアのブルノ国立劇場で,I.V.プソタの振付で上演されたのを機に,レニングラードでは 40年,キーロフ劇場において G.ウラノワ,C.セルゲーエフの主役で初演された。シェークスピアの原作に基づき,写実主義的な手法で壮大なドラマを描いた名作。同じプロコフィエフの音楽による多くの改訂版が生れたほか,C.ランバート,F.ディーリアス,ベルリオーズらの音楽による同主題の作品も多い。

ロミオとジュリエット
Romeo and Juliet

イギリスの劇作家シェークスピアの悲劇。5幕。 1594年頃執筆,初版は 97年の四つ折本 (クォート) 。イタリアのバンデッロの物語 (1554) に材を取ったアーサー・ブルックの長編物語詩『ロメウスとジュリエットの悲劇的な物語』 (62) をもとに,ルネサンス時代のベロナを舞台として,名門モンタギュー家の息子ロミオと宿敵キャピュレット家の娘ジュリエットとの悲恋を描いた運命悲劇。悲痛な結末にもかかわらず,若さに満ちあふれた華麗な劇となっている。ロミオの友人マキューシオやジュリエットの乳母がいきいきと描かれている。

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百科事典マイペディア 「ロミオとジュリエット」の意味・わかりやすい解説

ロミオとジュリエット

シェークスピア作の悲劇。《Romeo and Juliet》。5幕。1595年ころの作。一目ぼれした若い二人の恋は,家門同士の宿怨のために,実らず,逃避行の計画の食違いで二人とも自害する。バルコニーの別れのシーンをはじめ全編抒情的精神に貫かれた悲恋物語の古典として有名。この作品を題材とした音楽・映画作品も多い。
→関連項目ウェスト・サイド物語マクミラン

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デジタル大辞泉プラス 「ロミオとジュリエット」の解説

ロミオとジュリエット〔英伊合作映画:1968年〕

1968年製作のイギリス・イタリア合作映画。原題《Romeo and Juliet》。シェークスピアの同名戯曲の映画化。監督:フランコ・ゼフィレッリ、出演:オリビア・ハッセー、レナード・ホワイティング、マイケル・ヨーク、ローレンス・オリビエほか。音楽はニーノ・ロータ。第41回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。同撮影賞、衣裳デザイン賞受賞。

ロミオとジュリエット〔バレエ〕

①ロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフのバレエ音楽(1938)。シェークスピアの同名の戯曲に基づく。
②ロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフの①によるバレエ。1938年、チェコスロヴァキアの国立ブルノ劇場でイーヴォ・ヴァンヤ・プソタによる振付で初演。キーロフ・バレエのレオニード・ラヴロフスキーによる振付が有名。

ロミオとジュリエット〔英伊合作映画:1954年〕

1954年製作のイギリス・イタリア合作映画。原題《Romeo and Juliet》。シェークスピアの同名戯曲の映画化。監督:レナート・カステラーニ、出演:ローレンス・ハーベイ、スーザン・シェントール、フローラ・ロブソン、ジョン・ギールグッドほか。第15回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞。

ロミオとジュリエット〔アメリカ映画〕

1936年製作のアメリカ映画。原題《Romeo and Juliet》。シェークスピアの同名戯曲の映画化。監督:ジョージ・キューカー、出演:ノーマ・シアラー、レスリー・ハワード、ジョン・バリモア、エドナ・メイ・オリバー、ベイジル・ラスボーンほか。第9回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。

ロミオとジュリエット〔曲名〕

ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーの管弦楽曲(1869、70、80)。シェークスピアの同名の戯曲を題材に作曲した演奏会用序曲。

ロミオとジュリエット〔宝塚歌劇団〕

宝塚歌劇団による舞台演目のひとつ。1933年、宝塚中劇場にて月組が初演。原作はシェークスピアによる同名戯曲。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ロミオとジュリエット」の解説

ロミオとジュリエット
Romeo and Juliet

シェークスピアの悲劇
1595年ごろ初演。初期の作品で,イタリアの相争う両名家に生まれたロミオとジュリエットの悲恋物語。

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世界大百科事典(旧版)内のロミオとジュリエットの言及

【チャイコフスキー】より

…ロシアの作曲家。ウラル山麓の鉱山町ボトキンスで鉱山監督官の家に生まれた。1852年ペテルブルグの法律学校に入学し,59年に同校卒業。法務省に9等文官として職を得た。幼時からピアノを学んだり,即興演奏を楽しんだりしていたが,法律学校時代に声楽,ピアノ,音楽理論を習い,62年ペテルブルグ音楽院開設と同時に,その第1回生となり,アントン・ルビンシテインらに師事した。63年には法務省を退職して音楽に専念し,66年卒業と同時に,新しく開設されたモスクワ音楽院に音楽理論の教師として迎えられた。…

【プロコフィエフ】より

…また映画音楽《キージェ中尉》(1933。34年交響組曲に改編された),バレエ曲《ロミオとジュリエット》(1936),音楽童話《ピーターと狼》(1936)などがあるが,これらはすでにソビエト的なわかりやすい作品である。 36年ソ連でプロコフィエフを待ち受けていたのは,ショスタコービチのオペラに対する《プラウダ》の批判に象徴される厳しい文化政策であった。…

【ベルリオーズ】より

…生活の困窮や彼のしんらつな批評に対する反感,大多数の公衆の無理解など,彼を取り巻く状況は厳しかった。しかし,なお作曲活動を続け,《レクイエム》(1837),オペラ《ベンベヌート・チェリーニ》(1838),劇的交響曲《ロミオとジュリエット》(1839)などの作品を生み出した。作曲家として名を成したとはまだいえなかったが,39年彼はパリ音楽院の図書館の主事補に任命され,40年には七月革命の10周年記念に《葬送と勝利の交響曲》の作曲も依頼された。…

【ベジャール】より

…60年ブリュッセルのモネ劇場(1963年ベルギー国立劇場となる)の中に20世紀バレエ団を結成。《春の祭典》《ロミオとジュリエット》《ペトルーシカ》などの創作でバレエに演劇的要素を組み入れ,独自のスペクタクルを誕生させた。以後20世紀バレエ団は異色の集団バレエで国際的な反響を呼び起こした。…

【ラブロフスキー】より

…彼は従来のおとぎ話や説話を主題としたバレエにかわる劇的真実をもつ写実的舞踊劇の創造をめざした。40年プロコフィエフの《ロミオとジュリエット》を振付け,踊りとマイムの結合によって登場人物の性格と心理を描きわけ,巧みな群衆の処理によって壮大な舞踊劇を創造した。ラフマニノフの《パガニーニの主題による狂詩曲》を用いた1幕物《パガニーニ》(1960)も佳作に数えられ,また44年に振付けた《ジゼル》は古典を現代に生かしたもっともすぐれた改訂版とされている。…

【バンデロ】より

…ときに冗漫,ときにいきいきとした文体になる。そのなかの1編がシェークスピアの《ロミオとジュリエット》の種本になったことは有名である。邦訳《風流ミラノ夜話》(1948)がある。…

【ベローナ】より

…1260年デラ・スカラ家のマスティーノをカピターノ・デル・ポポロに選びコムーネが再建されたが,マスティーノの弟アルベルトは,みずからベローナのシニョーレとなった。シェークスピアの悲劇《ロミオとジュリエット》はこのスカラ家統治時代に題材をとっている。 カングランデ(1329没)の時代に,ビチェンツァ,パドバ,トレビーゾを征服し,スカラ家の統治領域は最大になった。…

※「ロミオとジュリエット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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