改訂新版 世界大百科事典 「バレエ音楽」の意味・わかりやすい解説
バレエ音楽 (バレエおんがく)
演劇的舞踊としてのバレエは,ルネサンス時代の西欧の宮廷社会の舞台余興に起源をもつ。そして広義のバレエ音楽は,そのバレエの歴史とともにあったすべての音楽を指す。ルイ14世の治世にリュリが作曲した一連の〈宮廷バレエballet de cour〉の作品もこれに含まれる。しかし,バレエ音楽が,オペラと並んで劇場音楽の重要な一部門を形成するようになるのは,ようやく19世紀後半のことである。その中心地となったのは,パリとモスクワおよびペテルブルグであった。
18世紀半ばころに,パリのノベールを指導者として〈バレエ・ダクシヨン〉が創始された。これはバレエの舞台から台詞と歌を排除し,舞踊とパントマイムをもっぱらオーケストラが支えるといった近代バレエの原型である。19世紀が進むにつれて,これがロマン主義思潮のもとにしだいに超自然的・幻想的な主題を扱うようになり,オーケストラにいっそう多彩な表現性が求められるようになる。しかし,舞踊の因襲的な技法が自由な音楽表現の束縛となり,一級の作曲家たちはバレエ音楽に創作意欲を示さなかった。パリにおけるドリーブの《コッペリア》(1870)と《シルビア》(1876),モスクワにおけるチャイコフスキーの《白鳥の湖》(1876),ペテルブルグにおける同じ作曲家の《眠れる森の美女》(1890)と《くるみ割り人形》(1892)の成功は,この通念を打開し20世紀のバレエ音楽への道を開いた。
1910年代から20年代にかけて,ディアギレフの主宰する〈バレエ・リュッス〉のために,現代音楽の新しいイズムをもったバレエ音楽が相次いで創造される。ストラビンスキーの《火の鳥》(1910)と《ペトルーシカ》(1911)と《春の祭典》(1913),J.M.ラベルの《ダフニスとクロエ》(1912),ドビュッシーの《遊戯》(1912)などである。一方,同じ時期に発表されたファリャの《恋は魔術師》(1915)と《三角帽子》(1919)は,民族的色彩の濃いバレエ音楽として知られる。さらに1930年代以降にもボーン・ウィリアムズの《ヨブ》(1930),プロコフィエフの《ロミオとジュリエット》(1936)と《シンデレラ》(1944)などがあり,バレエ音楽は20世紀音楽の主要なジャンルとして定着するにいたった。
日本では,1910年代後半から20年代初めにかけて山田耕筰が石井漠,小山内薫の協力を得て創作した舞踊詩(《青い焰》《マリア・マグダレーナ》《野人創造》)がある。また第2次大戦後の作品では,伊福部昭(1914-2006)の《サロメ》(1948)と《プロメテの火》(1950),石井歓(1921-2009)の《まりも》(1962),間宮芳生(1929- )の《祇園祭》(1963)などが成功している。
執筆者:後藤 暢子
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