日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロングビル夫人」の意味・わかりやすい解説
ロングビル夫人
ろんぐびるふじん
Anne, duchesse de Longueville
(1619―1679)
フランスの婦人。「フロンドの乱」における反マザラン派の立役者の1人。ルイ13世妃マリ・ド・メディシスに、陰謀を企てて投獄された王族筆頭のコンデ公の娘。カルメル会施設で宗教教育を、ランブイエ夫人のサロンで洗練された社交精神を身につけ、華々しく宮廷に出たが、遊蕩児(ゆうとうじ)の男やもめロングビル公爵と結婚。夫人も次々に情人をつくったが、当代一の文人ラ・ロシュフコーを知るに及び、その恋人となった。しかし、1648年、第一期「フロンドの乱」が勃発(ぼっぱつ)するころ、後のレス枢機卿(すうききょう)ポール・ド・ゴンディPaul de Gondi(1613―79)と知り合い、その子を生むまでの深い仲となる。一方では、女戦士ブイヨン公爵夫人duchesse de Bouillonとともに反マザラン派の先頭にたち、バスチーユ要塞(ようさい)奪取に立ち合った。以来、ルーアンに乗り込んでその地の高等法院の蜂起(ほうき)を謀ったり、ディエップへ攻め込んだり、ポアトゥーで反乱を引き起こそうとしたりした。しかし、マザランに追われ、男装してオランダへ逃れ、やがてパリに戻ったが、結局、マザランの軍に敗れた。この間、息子の1人は精神に異常をきたし、もう1人は戦死する、などのことがあって、ついに夫人は引退し、財産は慈善のために費やした。終生、自由を渇望した女性といわれている。
[榊原晃三]
『アラン・ドゥコー著、川田靖子訳『フランス女性の歴史1』(1980・大修館書店)』