日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルーアン」の意味・わかりやすい解説
ルーアン
るーあん
Rouen
フランス北西部、セーヌ・マリティーム県の県都。パリの北西123キロメートルに位置し、セーヌ川が市内を貫流する。ノルマンディー地方の古くからの中心都市。人口10万6592(1999)、11万0169(2015センサス)。ローマ時代からの歴史の古い町で、第二次世界大戦中は連合軍の爆撃で甚大な被害を受けたが、ノートル・ダム寺院、サントゥアン教会、サン・マクルー教会、時計塔、裁判所などのゴシック建築のほか、多くの歴史的建造物が保存されている。大学、控訴院、司教座教会などがあり、第三次産業が主産業で、商業・観光の中心地。河港ながらフランス第4位の商港を有し、西88キロメートルのセーヌ河口に位置するル・アーブルとともに一大工業地帯を形成し、繊維、鉄鋼、化学、食品、石油工業も発達している。ルーアン織はこの町の特産物。
[高橋伸夫]
歴史
ケルト時代、ウェリオカッセース人の根拠地で、ラトマグスRatomagus, Ratumagusとよばれた。紀元前1世紀中期以来ローマの支配下に入り、紀元後3世紀にはキリスト教の司教座が置かれ、また北方交易の拠点となった。フランク時代にはその地方伯居住地となったが、841年侵攻したノルマン人に焼かれ、911年サン・クレール・シュール・エプト協約によって成立したノルマンディー公国の首都となった。文化的・経済的活力を取り戻して内外交易の拠点となり、サントゥアン教会など主要な寺院も建立された。12世紀にはコミューヌ(自治都市)を宣言し、「ルーアン市憲章」Etablissement de Rouenを定め、拡大した街を囲む新たな城壁が築造されるほど発展した。13世紀にフランス王フィリップ2世に征服されたが、商人寡頭政の特権都市として保障され、パリとの交易はいっそう密接になり、海軍工廠(こうしょう)も創設され、ハンザ諸都市との関連も深くなり経済的繁栄がもたらされた。しかし、14、15世紀の百年戦争期には、ペストの流行も加わり、その交易上の特権も喪失して衰退した。また、ジャンヌ・ダルク裁判と処刑(1431)の場となった。16世紀に入ると、王権の強化に応じ旧ノルマンディー公法廷がルーアン高等法院となり(1515)、王政の地方拠点都市となった。手織、亜麻(あま)布、製紙工業がおこり、西欧交易も回復した。18世紀にはアフリカとアンティル諸島を結ぶ三角貿易の一角を担った。
[千葉治男]