コンデ家(読み)コンデけ(英語表記)Condé

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンデ家」の意味・わかりやすい解説

コンデ家
コンデけ
Condé

シャルル・ド・ブルボンの息子コンデ親王ルイ1世 (1530~69) から始るフランス名家。代々当主はコンデ親王と呼ばれ,王族のなかで第1の血統とされた。ルイ1世はユグノーの指導者であったが,アンボアーズの陰謀に加担したため暗殺された。2代目アンリ1世 (52~88) はサン=バルテルミの虐殺 (72) 時にカトリックを強要されたが,アルザス亡命。その孫で3代目アンリ2世 (88~1646) の子が,4代目ルイ2世であり「大コンデ」と呼ばれた「貴族のフロンド」の立役者。その姉のロングビル公夫人アンヌ・ジュヌビエーブはモンパンシェ公夫人と並ぶフロンド派の女傑として有名。8代目のルイ・ジョセフ・ド・ブルボン (1736~1818) はフランス革命に際して亡命し,コンデ軍 (反革命軍) を組織して革命軍,さらにナポレオン軍と戦った。9代目ルイ・アンリ・ジョゼフ (1756~1830) はブルボン公として知られるが,謎の死をとげ,子も早死にしたため,コンデ家他家に継承された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンデ家」の意味・わかりやすい解説

コンデ家
こんでけ
Condé

フランスのブルボン王家の筆頭親王家。コンデの名は、コンデ・シュール・レスコーという町名からとられた。バンドーム系ブルボン家から出自し、歴代武勲の王族として知られる。初代ルイ1世Louis Ⅰ de Bourbon(1530―69)はアンリ4世の叔父で、ユグノー戦争における新教派の武将。第4代ルイ2世LouisⅡ de Bourbon(1621―86)は大コンデと称され、三十年戦争でロクロア(1643)、ランス(1648)の戦いに勝利を収め、フロンドの乱では反マザランの貴族派の中心となった。ルイ14世のもとにあっても、フランドル戦争、オランダ戦争に武功があった。第9代ルイ・アンリ・ジョセフLouis Henri Joseph(1756―1830)は革命を避けてイギリスに亡命、最後のコンデ親王となった。その子アンガン公は反ナポレオンの陰謀を企て、1804年処刑された。

[千葉治男]

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