アグネッタ(英語表記)Agnetha

20世紀西洋人名事典の解説

アグネッタ
Agnetha


1950 -
スウェーデン歌手
1972年、4人の頭文字をとって、ボーカル・グループ「アバ」を結成する。’74年ユーロビジョン歌曲コンテストにおいて、「ウォータールー」を歌い優勝する。その後、多くの自作をヒットさせ、世界的人気グループとなる。ヒット曲に「フェルナンド」(’76年)、「ダンシング・クイーン」(’77年)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典の解説

アグネッタ

生年月日:1950年4月5日
スウェーデンの元・歌手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

現代外国人名録2016の解説

アグネッタ
Agnetha

職業・肩書
元歌手

国籍
スウェーデン

生年月日
1950年

本名
フェルツコーグ,アグネッタ〈Föltskog,Agnetha〉

グループ名
旧グループ名=ABBA(アバ)

経歴
1972年ビョルン・ウルヴェウス(ギター)とアグネッタ・フェルツコーグ(ボーカル)、ベニー・アンデション(ピアノ)とフリーダ・ルングスタッド(ボーカル)2組の夫婦で、4人のイニシャルの頭文字をとってボーカルグループ・ABBAを結成する。’74年ユーロビジョン歌曲コンテストにおいて、「恋のウォータールー」を歌い優勝。その後、同曲は英国チャートで1位、米国チャートで6位となり、英米以外の国から登場したアーティストとして注目される。’77年「ダンシング・クイーン」が英米のチャートで1位となり、世界的人気グループとなる。他のヒット曲に「S.O.S.」(’75年)、「悲しきフェルナンド」(’76年)、「テイク・ア・チャンス・オン・ミー」(’78年)、「チキチータ」(’79年)、「スーパー・トゥルーパー」(’80年)、アルバムに「アライバル」「ザ・ビジターズ」など。日本には’78年プロモーションのため初来日し、その後1ケ月でシングル・アルバムの売上げが100万枚以上となる人気グループに。’80年公演のため再来日し、全11公演で10万人を動員した。また、日本のアイドル・ピンクレディのお手本としても知られた。’83年両夫婦の離婚もあり活動停止、事実上の解散に。ソロとして活動し、映画にも出演した。のち引退。’99年に初演された、ABBAの曲をふんだんに使ったミュージカル「マンマ・ミーア!」は各国で上演され人気を呼ぶ。2001年「S.O.S.」「チキチータ」が日本のテレビドラマ「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」に使用されて再び脚光を浴び、日本限定のベスト盤「S.O.S. THE BEST OF ABBA」がリリースされる。2009年ABBAがロックの殿堂入り。2009年ABBAがロックの殿堂入り。2014年40周年記念日本限定ベスト盤「ABBA 40/40〜ベスト・セレクション」が発売された。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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