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アグラブ朝 アグラブちょう Aghlab

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アグラブ朝
アグラブちょう
Aghlab

現在のチュニジアを中心に,北アフリカを支配したイスラム王朝 (800~909) 。首都はカイラワーンアッバース朝アミールであったイブラーヒーム (在位 800~812) はカリフハールーン・アッラシードから貢納金を条件に自治権を与えられて,半独立王朝を建設した。

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世界大百科事典 第2版の解説

アグラブちょう【アグラブ朝 Aghlab】

北アフリカ,イフリーキーヤアラブが土着のベルベル人を支配して建てたスンナ派の王朝。800‐909年。首都はカイラワーンホラーサーン出身の軍人アグラブの息子イブラーヒームIbrāhīm b.al‐Aghlab(757‐812)がアッバース朝の宗主権を認めつつ自立したのが起源である。ハワーリジュ派の反乱,アラブ軍兵士の反抗,法学者の為政者に対する非難など内政は不安定であったが,シチリアの征服(878完了)によってイスラム文化ヨーロッパへもたらし,またマーリク派法学者が優位に立つことによって,マーリク派のスンナ派イスラムをマグリブに浸透させたという点で重要な意味をもつ。

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世界大百科事典内のアグラブ朝の言及

【マグリブ】より

…そのうちのリビア東部キレナイカ地方は,エジプトの支配下に入ると,しだいにマグリブの範囲外になった。同じくアラブは,ラテン語のアフリカに由来するイフリーキーヤの語も用いたが,それは,9世紀にアグラブ朝がチュニジアに建国されて以降,しだいにリビア西部からアルジェリア東部までの地域内,つまりマグリブ東部を指すようになった。また,リビア西部のトリポリタニア地方は,ムワッヒド朝やハフス朝の支配下に入った時期もあったが,その統治は不安定であり,常に半独立的状態にあったといってよい。…

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