アジア社会党会議(読み)アジアしゃかいとうかいぎ(英語表記)Asian Socialist Parties Conference

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アジア社会党会議」の意味・わかりやすい解説

アジア社会党会議
アジアしゃかいとうかいぎ
Asian Socialist Parties Conference

1953年1月6~15日,インド,ビルマ (現ミャンマー) ,インドネシア社会党の共同招請によりアジアの社会主義政党の代表を集めてビルマのラングーン (現ヤンゴン) で開かれた会議。出席者はビルマ,エジプトインドネシア,インド (プラジャー社会党) ,イスラエル (マバイ社会党) ,日本 (当時の左・右両派の社会党) ,レバノン (進歩社会党) ,マライ (汎マライ労働党) ,パキスタン (東・西パキスタン社会党) の正式代表のほか,オブザーバーとしてチュニジア (デストゥル党) ,ネパール (会議派) ,ウガンダ (ウガンダ・アフリカ会議) ,ケニヤ (ケニヤ・アフリカ同盟) ,アルジェリアの代表,社会主義インターナショナルからイギリス労働党党首 C.アトリー,ユーゴスラビア共産党から M.ジラス国務相らの総数二百余名であった。本部をラングーンにおき,会議は2年に1回開催し,参加政党は1国1党とすること (当時の日本は例外) を決めた。そのほか基本原則ともいうべき「社会主義の原則と目的に関する決議」を可決し,そのなか一方では資本主義および西欧植民地主義に対立するとともに,他方で共産主義にも反対し,東西両陣営のいずれにもくみせず,民主社会主義立場をとることを明らかにした。また西欧の社会民主主義諸政党の協力機構である社会主義インターナショナルとは密接に協力するが,その下部機構になることは拒否した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アジア社会党会議」の意味・わかりやすい解説

アジア社会党会議
あじあしゃかいとうかいぎ
Asian Socialist Parties Conterence

インド、ビルマ(現ミャンマー)、インドネシアの社会党が提唱して、1953年結成されたアジア諸国の社会党の協力機構。ビルマのラングーン(現ヤンゴン)で開かれた創立大会には、インド、インドネシア、ビルマ、マラヤ(現マレーシア)、レバノン、パキスタン、イスラエル、日本の8か国の社会党が参加した。のちにセイロン新平等社会党、ネパール会議党、南ベトナム社会党の加入が承認された。本部をラングーンに置き、議長にウ・バ・スエ(ビルマ)が就任。執行局と反植民地主義局を設け、毎年10月に「従属国人民自由デー」を行うこととした(ただし、実際にはビルマで行われたのみ)。1956年11月インドのボンベイ(現ムンバイ)で第2回大会を開催。1957年7月、ウ・ラ・アン事務局長が、ウィーンで開かれた社会主義インター第5回代表大会に出席して、同インターとの協力強化を要請した。1958年3月ネパールで開かれた執行局会議で組織綱領を採択したが、その後活動は行われず、大会も開かれていない。

[土生長穂]

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