ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パシュトゥン人」の意味・わかりやすい解説
パシュトゥン人
パシュトゥンじん
Pashtun; Pushtun; Pakhtun
パシュトゥン人は,パシュト語を共通言語とし,スンニ―派イスラム教を信奉し,パシュトゥンワリ Pashtunwaliと呼ばれる共通の社会規範をもつ。民族の起源についてはパシュトゥン人の間でも議論されているが,イスラエルのサウル王の孫アフガナ Afghanaの子孫とする説もある。13世紀から 16世紀にかけていくつかの部族がアフガニスタンからパキスタンに移住したことが知られ,現在のアフガニスタンの国家が形づくられた 19世紀後半に多くのパシュトゥン人がアフガニスタン北部に移動した。大半が定住型の農業を営み,牧畜も組み合わせる。遊牧や隊商(キャラバン)に従事する者もいる。親族社会を基本とし,それぞれの部族は共通の祖先から男系の血統を受け継ぐ親族で構成され,クラン,サブクラン(→氏族),家父長制家族と分かれる。部族の系譜には,継承権,相続権,土地利用の権利,部族会議(ジルガ)で発言する権利などが定められている。財産,女性,人身傷害をめぐる争いは家族,氏族全体の問題に発展することも多く,しばしば氏族の首長や部族会議が介入して解決をはかる。
21世紀初頭時点で,アフガニスタンに約 1100万人,パキスタンに約 2500万人のパシュトゥン人がいると推定され,規模と重要性の点で分類される約 60の部族が特定の地域を支配している。パシュトゥン人を主要民族とするアフガニスタンでは,首都カブール南方のドゥラーニー部族とカブール東方のギルザーイ部族(正確には部族の連合体)が有力である。パキスタンでは,クウェッタの北方と,スライマン山脈とインダス川に挟まれた地域にパシュトゥン人が数多く暮らす。また,山岳地帯には(南から北に)グマル川南岸のカーカル部族,シェラーニー部族,ウスタラーナ部族が,グマル川北岸とタール地域の間のマハスード部族,ダルウェーシュ・ケール部族,ワジリー部族,ビタニー部族が,タール地域からカイバー峠までのトゥリー部族,バンガシュ部族,オラクザイ部族,アフリディ部族,シンワーリ部族が,さらにカイバー峠の北と北東にはマフマンド部族,ウトマーン・ケイ部族,タルクラーニ部族,ユスフザイ部族がそれぞれ居住する。州政府が直接管理する低地の部族には,(南から北に)クラム川からノウシェラまでのバヌーチ部族,カタク部族,ペシャワル谷(ペシャワル盆地)のカーリル部族,マンダーン部族などがいる。アフガニスタンではカンダハール,ジャラーラーバード,ヘルマンド州都のラシュカルガーが,パキスタンではペシャワル,クウェッタが,パシュトゥン文化の中心地である。
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