ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペシャワル」の意味・わかりやすい解説
ペシャワル
Peshāwar
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パキスタン北部、ノース・ウェスト・フロンティア(北西辺境)州の州都。人口98万8005(1998)、197万0042(2017センサス)。カブール川に潤される肥沃(ひよく)なペシャワル谷に位置し、周辺は灌漑(かんがい)水路の発達もあって農業が盛んである。小麦、タバコ、砂糖を集散するとともに、食品加工、紡績、薬品などの工業も立地する。中央アジアからインド亜大陸への門戸にあたるカイバー峠東麓(とうろく)の要衝として古くから栄えてきた。かつて隊商が行き交った時代には、遠く中央アジアのサマルカンドやブハラからも商人が集まり、じゅうたん、金糸、宝石、乾果などと香料、穀物、砂糖、茶などとを交易した。市街は、19世紀前半のシク王国時代に再建された旧市と、その西方のイギリス領時代に建設された新市との双子都市をなす。
[応地利明]
16世紀にムガル皇帝アクバルが命名したといわれ、「辺境の町」を意味する。古名はプルシャプラで、インド亜大陸と西・北方との交通の要衝にあり、古来多くの民族・王朝の往来・進入路、前進基地となった。紀元前6~前4世紀にイランのアケメネス朝属領ガンダーラの都で、アフガン系部族が住んでいた。後1~3世紀にクシャン朝の首都としてシルク・ロードの遠隔地貿易を支配し、ヘレニズム様式の仏教美術などガンダーラ文化を生んだ。7世紀前半に唐僧玄奘(げんじょう)は「周囲四十余里の大都城」での仏教の衰えをみた。10世紀末にアフガニスタンのガズナ朝に征服され、以来ムスリム(イスラム教徒)諸王朝下でアフガン(パシュトゥン)住民のイスラム化が進んだ。1848年にはシク戦争でイギリスに征服された。1901年以来、1947年のパキスタン独立を経てずっと北西辺境州の州都である。
[浜口恒夫]
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