アブドラ・バダウィ(読み)あぶどらばだうぃ(英語表記)Abdullah Badawi

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アブドラ・バダウィ」の意味・わかりやすい解説

アブドラ・バダウィ
あぶどらばだうぃ
Abdullah Badawi
(1939― )

マレーシア政治家。在職22年の首相マハティールが引退したことを受けて、2003年10月末、マレーシアの第5代首相に就任。2004年9月には、与党第一党の統一マレー国民組織(UMNO総裁にも選ばれ、政治基盤を確立した。財務相、国内治安相も兼任。マハティールのようなカリスマ性はないが、清廉潔癖で温厚な人柄から、国民からは「ラーおじさん」とよばれ、親しまれた。

 北部ペナン州のイスラム法学者の家に生まれた。マラヤ大学でイスラム学を学び、官僚となる。青少年スポーツ省高官などを務めた後、1978年、下院議員に初当選。1981年のマハティール政権誕生とともに首相府相に就任し、「ルック・イースト(日本や韓国に学べ!)政策」(東方政策)を担当した。その後、教育相、国防相を経て、1991年から1999年まで外相。1999年には副首相、2000年にはUMNO副総裁となり、マハティールから2002年7月、後継者に指名された。ただ、最初から首相後継レースのトップを走っていたわけではない。1980年代の党内抗争では反マハティール派とみなされ、国防相を解任されたこともある。また、後継最有力とみられた副首相アンワル・イブラヒムが、政局運営や経済政策をめぐってマハティールと対立して、1998年に解任され、犯罪者とされたことも影響した。

 首相就任後は、2004年3月の下院選で与党を圧勝に導き、発言力増大。マハティールが進めた国産車優遇策や大型建設事業の見直しを断行し、前首相の影響下から完全に抜け出した。2008年、下院選挙で与党議席が大幅に減ったため、2009年にUMNO総裁および首相を辞任した。

[宮明 敬]

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現代外国人名録2016 「アブドラ・バダウィ」の解説

アブドラ・バダウィ
Abdullah Badawi

職業・肩書
政治家 元マレーシア首相,元統一マレー国民組織(UMNO)総裁

国籍
マレーシア

生年月日
1939年11月26日

出生地
ペナン州

学歴
マラヤ大学卒

経歴
祖父はマレーシア国民から尊敬を集めたイスラム指導者、父は与党、統一マレー国民組織(UMNO)のペナン州議長。大学卒業後UMNOに入党。人事院課長補佐、文化・青年・スポーツ省青年局次長などを経て、1978年マレーシア下院議員に当選。’81〜83年首相府相(東方政策担当)、’84〜86年教育相、’86〜87年国防相を歴任。’87年総選挙でマハティール総裁に挑み閣僚を追われたが、’91年外相として復帰、’96年UMNOナンバー3の副総裁候補に。’99年1月の内閣改造で副首相兼内相に就任。2000年5月UMNOナンバー2の副総裁に昇格。2003年10月第5代首相に就任。財務相・内相兼任。2004年3月総選挙で圧勝し再任。同年9月UMNO総裁。2008年3月総選挙で大幅に議席を減らす。2009年3月UMNO総裁、4月首相・財務相を退任

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

367日誕生日大事典 「アブドラ・バダウィ」の解説

アブドラ・バダウィ

生年月日:1939年11月26日
マレーシアの政治家

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