日本大百科全書(ニッポニカ) 「エクソンモービル」の意味・わかりやすい解説
エクソンモービル
えくそんもーびる
ExxonMobil Corp.
アメリカの石油化学工業会社。世界最大クラスの石油メジャー(国際石油資本)であったエクソンと、モービル(当時全米第2位)が1999年に合併して誕生した。BP、ロイヤル・ダッチ・シェル・グループと並ぶ世界屈指の巨大石油化学企業である。本社はテキサス州アービング。
[萩原伸次郎]
エクソン
1911年、旧スタンダード石油会社がシャーマン法(反トラスト法)違反として解体された結果生まれた33の会社のうち、最大のニュー・ジャージー・スタンダード石油Standard Oil Co. of New Jerseyがエクソンの前身である(同社は1927年に純粋持株会社として改組された)。商標名はエッソ(ESSO)。1919年、テキサス州ヒューストンの石油会社ハンブル石油Humble Oil and Refining Co.の株式50%を取得した。さらに、1920年代までにルーマニア、インドネシアにおける石油・天然ガスの生産を始め、ラテンアメリカにも拠点を築き、1933年ソコニー・バキュームSocony-Vacuum Corp.(後のモービル)とアジア太平洋地域でのジョイント・ベンチャーを開始した。1948年にはアラムコ(現、サウジアラムコ)の株式30%を取得して、サウジアラビアの莫大(ばくだい)な石油利権を獲得した。1959年ハンブル石油を100%子会社とし、1972年ニュー・ジャージー・スタンダード石油の社名をエクソンと変更した。翌1973年、ハンブル石油はExxon Co. USAとしてエクソン本社の事業部となり、化学品の生産を行うエッソ・ケミカルもエクソン・ケミカルExxon Chemical Co.としてエクソンの一事業部となった。1980年、エクソンの海外事業としては最大のアラムコがサウジアラビア政府によって国有化されたのをはじめ、ベネズエラ、コロンビア、カナダなどの在外権益も国有化の対象となったため、石油産業以外の分野、とくに石炭、ウランなどのエネルギー関連分野への展開を図った。
1989年、アラスカのプリンス・ウィリアム海峡で同社の「エクソン・バルディーズ号」が座礁して大量の原油を流出させ、最悪の環境破壊事故を起こした(アラスカ湾原油流出事故)。この事故によりエクソンは国際的な非難を浴び、原油処理に25億ドルを支出、さらに1994年には、連邦裁判所から50億ドルの賠償金の支払いを命ずる判決を受けた。1990年、ニューヨークからテキサス州アービングに本社を移転。1997年にはテキサス州ベイタウン工場の新エチレン生産設備が稼働した。1998年末時点で、300以上の子会社を保有し、その活動領域は全世界100か国以上に及んだ。アメリカ、オーストラリアで炭鉱を、チリでは銅山を経営し、17か国に31の精油所を所有。日産量平均は石油160万バレル、天然ガス1億7839万0800立方メートル。1998年の売上高は1177億7200万ドル。
[萩原伸次郎]
モービル
1882年ニューヨーク・スタンダード石油Standard Oil Co. of New York(略称ソコニーSocony)としてニューヨーク州に設立。1899年から1911年までは同社全株式がニュー・ジャージー・スタンダード石油によって所有されていたが、1911年のスタンダード石油トラスト解体に関する最高裁判所判決とともに元の株主に配分された。1931年、ソコニーは潤滑油の有力会社であったバキューム・オイルVacuum Oil Co.(1866年設立)と合併してソコニー・バキュームSocony-Vacuum Corp.となった。1955年、自社製品のブランド名「モービル」からとって、ソコニー・モービル・オイルSocony Mobil Oil Co., Inc.に社名変更され、1966年モービル・オイルMobil Oil Corp.に改称。その後1976年モービル・オイルの持株会社としてモービル・コーポレーションがデラウェア州法人として設立された。
世界石油産業における同社の地位はメジャー系石油会社として当面安定していたとはいえ、資源ナショナリズムの高揚とともに将来はかならずしも楽観を許さない状態であった。こうした見通しから同社はつとに経営の多角化につとめてきた。1978年にメイコア(通信販売・百貨店チェーンのモンゴメリー・ウォードなどの親会社)を完全買収したのもその表れであった。1981年にはマラソン石油(1980年度全米第39位の石油工業会社)の合併を企図してUSスチールと争ったが敗れた。しかし、1984年にはスーペリア石油Superior Oil Co.の買収に成功した。
1998年時点で、モービルは20か国で石油・天然ガスを生産し、探査活動は34か国に及び、原油の日産量平均171万バレルは国際メジャー上位に位置していた。モービルのブランド名を冠する石油製品は、世界100か国以上、1万5000を超える小売店を通じて販売され、潤滑油販売量は1日7万5000リットル以上。天然ガスおよび液化天然ガス(LNG)の生産ではアジアに強く、1996年の原油・LNG日産平均85万バレルのうち約69%がアメリカ国外からであった。1960年に設立されたモービル・ケミカルMobile Chemical Co.は石油化学製品の製造と販売を行い、とくに食品包装材のポリプロピレンフィルムの製造では最大手であった。モービルの1998年の売上高は535億3100万ドル。
[萩原伸次郎]
合併とその後の事業展開
1998年12月、エクソンがモービルを買収する方式で合併を発表したものの、合併交渉は合意に達せず一時破談となりかけた。しかし、イギリス石油メジャーのブリティッシュ・ペトロリアム(BP)がアメリカの大手石油会社アモコと合併し、新会社BPアモコ(2001年BPに改称)が発足したことを受けて、両社は交渉を再開した。1999年9月にはヨーロッパ連合(EU)委員会の承認を受け、同年11月アメリカ連邦取引委員会(FTC)の許可を得たことにより正式発足した。上流部門(石油・天然ガスの探査・開発・生産)から下流部門(輸送・精製・販売)、化学品部門をもつ巨大メジャーどうしの大型合併は過去最大規模であり、ヨーロッパでの天然ガス・パイプライン事業、石油事業に強いエクソンと、アジアでの液化天然ガス(LNG)事業、アメリカの下流部門に強みをもつモービルの合併は、互いの弱点を補完するものとみられる。この大規模合併は、1970年代以降のメジャーの支配力の低下、石油需要の伸び悩み、アジア経済危機を発端とする原油価格の下落による上流部門の採算悪化、などを背景に業界再編が進むなか、経営の多角化路線から上・下流一貫体制へと再編強化を図ったものであった。
2017年時点で、エクソンモービルは分野別に事業会社を有し、上流部門では世界38か国において探査活動を行い、石油・天然ガスの生産は25か国に及ぶ。下流部門は、世界で22の精製所を所有し、1日当り550万バレルを販売。精製された石油燃料は世界2万以上の小売店で販売されている。また、石油化学製品のほかフィルムなどを製造する化学品部門のエクソン・ケミカルとモービル・ケミカルは、合併に伴いエクソンモービル・ケミカル(本社テキサス州スプリング)に統合された。エクソンモービルの2017年の石油・天然ガス液日産量平均は390万バレル。確認埋蔵量は石油・天然ガスをあわせて石油換算210億バレル。2017年の総収入は2443億6300万ドル、純利益197億1000万ドル。
[萩原伸次郎 2018年12月13日]
日本での活動
日本では、エクソンが全額出資の販売会社エッソ石油をもつほか、完全子会社のテキサス州法人エッソ・イースタンEsso Eastern Inc.とエッソ石油を通して、精製・販売のゼネラル石油(当時。現、ENEOS)の株式を所有してきたが、1997年(平成9)に完全子会社化した。一方、モービルは1961年(昭和36)に全額出資の販売会社モービル石油を設立している。また、エクソン、モービル両社は、石油精製会社の東燃(旧、東亜燃料工業)にそれぞれ25%出資していた。
1999年の合併に伴い、東燃はエクソンモービルが議決権の過半数を有する子会社となった。2000年(平成12)7月東燃とゼネラル石油は合併し、新会社東燃ゼネラル石油となった。この合併にグループ内の精製会社の極東石油工業は加わらなかったが、グループの一体運営に参加することで精製事業は事実上統合された。さらに2002年、エッソ石油、モービル石油など4社の合併による日本法人エクソンモービル有限会社が発足した。エクソンモービルアジアインターナショナルSARLの全額出資によるエクソンモービル有限会社は、東燃ゼネラル石油の株式の50.02%、極東石油工業の株式の50%を、それぞれ所有していた。エクソンモービル有限会社は2012年にEMGマーケティングと改称、東燃ゼネラル石油の子会社となり、さらに2017年には吸収合併された。また、東燃ゼネラル石油は2017年、JXエネルギー(新日本石油、ジャパンエナジーが母体)と統合し、JXTGエネルギー(現、ENEOS)となった。
[萩原伸次郎 2018年12月13日]