エピルス(読み)えぴるす(その他表記)Epirus

翻訳|Epirus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エピルス」の意味・わかりやすい解説

エピルス
えぴるす
Epirus

ギリシア北西部の地方名。エピルスはラテン語名および英語名で、現代ギリシア語ではイピロスÍpiros、古代ギリシア語ではエペイロスEpeirosという。北はアルバニア、東はピンドス山脈、南はアンブラキア湾、西はイオニア海に面する。イオアニナ、テスプロティア、プレベザアルタの4県からなる。面積9203平方キロメートル、人口35万2420(2001)。「ギリシアのスイス」ともいわれる山岳地帯であり、同国でもっとも雨量が多い。中心都市イオアニナの年降水量は1300ミリメートルである(アテネは410ミリメートル)。森林に恵まれ、主要河川の水源地となっている。農地に乏しく、季節による移牧が盛ん。農牧業に携わる人口が70%を占める。中世には北方よりスラブ系、アルバニア系諸民族の侵入を受けたが、1450年にオスマン帝国がこの地を征服した。1913年ギリシアに帰属。

[真下とも子]

歴史

バルカン半島の脊梁(せきりょう)ピンドス山脈を背にする西側は「本土」を意味するギリシア語でエペイロスとよばれた。ギリシアの北西辺境で、古代には現在のアルバニア南部まで含む広い地域であった。ドーリス人の故地をなし、また神託で名高い聖地ドドナDodonaがある。住民はマケドニア人とイリリア人との両要素を交えていた。アレクサンドロス大王の母オリンピアスは、この地の王族出身である。住民は14の部族からなり、なかでもモロソイ人が卓越していたが、紀元前4世紀初めに連合、統一に向かった。同世紀末に英傑ピロスが出てエピルスを支配し、覇を志して南イタリアに進出したが、前275年ローマに阻まれた。のちマケドニアにくみするが、前167年アエミリウス・パウルスのローマ軍に攻略され、住民15万人が奴隷に売られるという惨禍を招いた。前146年アカイア同盟と運命をともにしてローマ属州に編入された。前31年の海戦で有名なアクティウムは当地にあり、その記念に「勝利の町」ニコポリスが建設されてローマ帝政期の州都となった。

[金澤良樹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エピルス」の意味・わかりやすい解説

エピルス
Epirus; Ēpeiros

アルバニアの南部からギリシア北西部にかけて,アドリア海に面する山岳地帯。ギリシア名エペイロス。現イピロス。旧石器時代から人類が居住した痕跡がみられ,歴史時代に入るとギリシア語を話すテスプロートイ,モロッソイ,カオネスの3支族が現れ,それぞれ南西部,中部,北西部に割拠して国外への植民活動を行なった。前4世紀にはモロッソイの王女オリュンピアスがマケドニアのフィリッポス2世に嫁し,アレクサンドロス3世 (大王)の母となった。前 334年大王母方の叔父アレクサンドロスは南イタリアを侵攻したが失敗,戦死した。その後モロッソイ王ピュロスと息子アレクサンドロス2世が版図を南北に拡張。前 330年頃から成るエピルス協約は連邦国家「エピルス同盟」に成長したが,第3次マケドニア戦争 (前 171~168) に巻込まれ,モロッソイ王国は前 167年ローマ軍に征服され,15万の住民が奴隷とされた。東ローマ (ビザンチン) 帝国が弱体化した 1204年には,独立の専制君主国となったが,1318年にはセルビア人とアルバニア人に,1778年にはトルコ人に征服された。 1821~29年のギリシア独立戦争では,重要な役割を果したが,1913年北エピルスの大部分がギリシアに併合された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エピルス」の解説

エピルス

エペイロス

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