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エルサレム史 エルサレムし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

エルサレム史
エルサレムし

エルサレムはヘブライ語でイェルシャライム,アラビア語でバイトルマクディスまたはアルクドゥスと呼ばれ,歴史的にはパレスチナの最も神聖な都市,古代ヘブライ人の国家,また十字軍時代のラテン王国の首都として変遷した。この地の人跡は石器時代にさかのぼるが,後期青銅器時代 (前 1400頃) には,カナン人の都市国家があり,王制のもとにあったことがエジプトの史料によって知られる。イスラエル人のカナン侵入後,ダビデ王がその治世7年目にここを都として以来,ローマ人による破壊 (132) まで,イスラエル (ヘブライ,ユダヤ) 人の国家の首都であった。ここに最初に神殿を築き,都市文化を確立したのはソロモンであったが,その王国分裂後はユダ王国の首都として,前 586年新バビロニアの王ネブカドネザル2世に滅ぼされるまで続いた。そのとき市民のおもだった者は強制移住させられた (→バビロン捕囚 ) が,前 538年アケメネス朝ペルシアの王キュロス2世が帰国を認めたため,やがて神殿が再建され,ユダヤ教祭司国家がつくられた。前 168年にはセレウコス朝により,また前 65年にはローマ軍により破壊されたが,前 37年ヘロデ大王の即位とともに,神殿を中心とした大規模な建設活動が行われた。 30年代に現旧市街北西部でキリストが処刑されて以来キリスト教の聖地ともなった。 70年および 135年にローマ軍によって占領されてからは,ユダヤ人は旧市街から締出され (1967年まで) ,代って,コンスタンチヌス1世 (大帝) の改宗以後キリスト教の建造物が聖墳墓教会を中心に栄えた。 614年ササン朝ペルシアのホスロー2世の侵入で破壊されたのち,637年イスラム領化した。 1099年十字軍が襲い,大虐殺を行なった。 1187年にはサラディンが占領し,以後短期間を除くと最近までイスラム教徒の町であった。 1917年にはアレンビー将軍が入城,20年以後近代都市化が主としてユダヤ系新市街で達成された。 22~48年イギリス信託統治領時代のパレスチナの首都となり,49年イスラエルとヨルダン両国による分割以後は,イスラエルの政府所在地となった。 67年の六日戦争以後は,旧市街を含め,全市がイスラエルに占領されている。

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