現代外国人名録2016 「オリバーストーン」の解説
オリバー ストーン
Oliver Stone
- 職業・肩書
- 映画監督・プロデューサー,脚本家
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1946年9月15日
- 出生地
- ニューヨーク市
- 学歴
- エール大学中退,ニューヨーク大学フィルムスクール卒
- 受賞
- アカデミー賞脚色賞(第51回)〔1978年〕「ミッドナイト・エクスプレス」,アカデミー賞監督賞(第59回)〔1986年〕「プラトーン」,アカデミー賞監督賞(第62回)〔1989年〕「7月4日に生まれて」,ゴールデン・グローブ賞脚本賞(第36回,1978年度)「ミッドナイト・エクスプレス」,ゴールデン・グローブ賞最優秀監督賞(第44回,1986年度)〔1987年〕「プラトーン」,ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞,第37回)〔1987年〕「プラトーン」,ゴールデン・グローブ賞最優秀監督賞(第47回,1989年度)〔1990年〕「7月4日に生まれて」,ベルリン国際映画祭金熊名誉賞(第40回)〔1990年〕,ゴールデン・グローブ賞最優秀監督賞(第49回,1991年度)〔1992年〕「JFK」,インディペンデント・スピリット賞特別賞(第7回)〔1992年〕,ベネチア国際映画祭審査員特別賞(第51回)〔1994年〕「ナチュラル・ボーン・キラーズ」
- 経歴
- 1967年ベトナム戦争に従軍後、ニューヨーク大学でマーティン・スコセッシに師事、シナリオ11本を書いたが、売れなかった。’74年にカナダでホラー映画「邪悪の女王」で監督デビュー。’76年「プラトーン」のシナリオを書いたが売り込みに失敗。コロンビアの依頼で書いた「ミッドナイト・エクスプレス」で’78年度アカデミー賞脚色賞を受賞する。’80年には「The Hand」を演出したが不評のためドラッグに逃避。だが翌’81年「スカーフェイス」の脚本執筆のため米各地を回るうち麻薬局の実態に触れてドラッグと絶縁。「スカー・フェイス」(’83年)、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(’85年)などの作品で脚本家としての評価を高める。’86年「サルバドル/遥かなる日々」で監督に復帰。同年ベトナム戦争従軍体験をもとに監督した「プラトーン」でアカデミー監督賞を受賞し一躍有名になる。’89年にはベトナム戦争2部作「7月4日に生まれて」でアカデミー監督賞の他、ゴールデン・グローブ賞の監督賞、最優秀映画賞、主演男優賞、最優秀脚本賞と主要4部門賞を独占受賞。他の監督作品に「ウォール街」(’87年)、「ドアーズ」「JFK」(’91年)、「天と地」(’93年,ベトナム戦争3部作完結編)、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(’94年)、「ニクソン」(’95年)、「Uターン」(’98年)、「エニイ・ギブン・サンデー」(2000年)、「コマンダンテ」(2003年,カストロ議長の素顔に迫ったドキュメンタリー)、「アレキサンダー」(2004年)、「ワールド・トレード・センター」(2006年)、「ブッシュ」(2008年)、「ウォール・ストリート」(2010年)など。1999年6月大麻所持などの容疑で逮捕され、同年8月3年間の保護観察処分と罰金390ドルの有罪判決が言い渡された。’95年、2000年映画のPRで来日。2012年「オリバーストーンが語る もうひとつのアメリカ史」(全3巻)を刊行、評判を呼ぶ。2013年来日し、東京、広島、長崎、沖縄などを訪れ、各地で講演などを行う。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報