キアロスタミ(読み)きあろすたみ(英語表記)Abbas Kiarostami

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キアロスタミ」の意味・わかりやすい解説

キアロスタミ
きあろすたみ
Abbas Kiarostami
(1940―2016)

イラン映画監督テヘラン生まれ。父親がペンキ職人だったこともあって、少年時代から絵を描くことを好み、テヘラン大学美術学部で絵画を学ぶ。1960~1968年、グラフィックデザイナーとして本の装丁ポスターを手がける一方で、大手広告制作会社タブリ・フィルムで150本以上ものコマーシャル・フィルムを監督。その際の体験が、時間を極端に限定された状況でメッセージを効果的に伝える訓練になったと述懐している。児童向けの本のイラストレーターの仕事もしており、その関係から児童青少年知育協会の職員となる。1965年に創設されたこの協会は、児童向けの絵画教室や演劇学校を開いたり、書籍の刊行などをしていたが、キアロスタミらの手で映画製作部もつくられ、多くの児童向け映画を製作、彼以外にも優れた映画監督を生んだ。同協会でキアロスタミが最初に手がけた作品『パンと裏通り』(1970)は、お使いを頼まれた少年がパンを抱えて家路を急いでいたところ、通りに恐ろしげな犬が待ち受けている、さて彼はいかにこの難関を突破して家に辿(たど)り着くか、といった内容の10分強の短編である。それ以降、1979年のイラン革命(イスラム革命)とその影響で多くの同僚が国外に脱出するといった状況の急変にもかかわらず、キアロスタミは国内にとどまり、いずれも基本的に児童の啓蒙(けいもう)を目的とする内容ながら多種多様な形式的実験を試みつつ、一貫して斬新さとユーモアを感じさせる短編や長編作品を撮りつづけた。

 そんなキアロスタミの存在を広く世界に知らしめるきっかけとなったのが、同協会の製作による長編劇映画『友だちのうちはどこ?』(1987)である。同作は、友だちの宿題用ノートを誤って持ち帰ってしまった少年が、翌日、先生に相手が厳しく叱られることを心配して懸命に彼の家を探し回る様子を描くもので、1989年スイスのロカルノ国際映画祭で銅豹賞・国際批評家賞などの賞に輝いた。撮影はテヘランから北へ400キロメートル離れたマーザンダラーン州のコケール村で行われ、主演の少年も含め出演者は現地で素人からキャスティングされた。キアロスタミらにとってはいつものスタイルの延長だが、そこから生み出される独自のリアリティに世界の映画関係者や観客が驚嘆、キアロスタミは一躍、世界でもっとも注目される映画監督の一人となった。

 1990年、イラン北部一帯を大地震が襲い、『友だちのうちはどこ?』の撮影された村が震央付近にあたると知ったキアロスタミは、自分の映画に出演してくれた村人たちの安否を気づかい、息子を連れて自動車で現地に向かう。そこで彼らが目撃したのは、家屋などが壊滅的に破壊され、多くの人命が奪われながらも、生きる希望を失うことなく冷静に日常生活を送る被災地の人々の姿だった。『そして人生はつづく』(1992)は、その際の映画監督と息子の旅を現地ロケの劇映画として再現するもので、さらに続いて『そして人生はつづく』撮影の裏側で進行していた若いカップルの葛藤を題材に、やはり現地で『オリーブの林をぬけて』(1994)が撮られ、ここにいわゆる「ジグザグ道三部作」が完結する。『友だちのうちはどこ?』で途方に暮れる少年は、頂上に大きな木の立つ小高い丘を越えるために何度もそこへと至るジグザグ道を行き来するが、その丘と木と道の光景がまるでキアロスタミ作品のトレードマークのようになり、これら一つながりの三部作に登場するのだ。

 長編としては『オリーブの林をぬけて』から3年ぶりの新作となった『桜桃の味』(1997)では、それまでになくペシミスティックで抽象度の高い物語を自殺志願の男性を主人公に展開させ、カンヌ国際映画祭パルム・ドール(グランプリ)を受賞。さらに21世紀に入ると、小型のデジタル・ビデオ(DV)カメラを新たな表現手段として選び、より変幻自在で自由な映画作りを模索していく。その端緒となった『ABCアフリカ』(2001)は、国連国際農業開発基金(IFAD)の求めに応じて、「ウガンダ孤児救済のための女性運動」(UWESO)の活動を取材したもので、長引く内戦やHIV感染の流行で深刻な被害を受ける子供たちに対し、けっして悲観的になることなく、温かい眼差しを向ける作品である。続く『10話』(2002)は、これまでのキアロスタミ作品の慣例を破って、テヘランという「都会」を舞台に、しかもさまざまな境遇にある「女性」に焦点をあてる作品であり、基本的に車に設置されたDVカメラで撮影された長回しの映像だけで構成されている。こうして、「ジグザグ道三部作」で確立された彼の作風をあえて大きく逸脱する方向へと、キアロスタミ作品は向かった。2004年世界文化賞受賞。

[北小路隆志]

資料 監督作品一覧

パンと裏通り Nan va Koutcheh(1970)
トラベラー Mossafer(1974)
友だちのうちはどこ? Khane-ye doust kodjast?(1987)
ホームワーク Mashgh-e Shab(1989)
クローズ・アップ Nema-ye Nazdik(1990)
そして人生はつづく Zendegi va digar hich(1992)
オリーブの林をぬけて Zire darakhatan zeyton(1994)
桜桃の味 Ta'm e guilass(1997)
風が吹くまま Bad ma ra khahad bord(1999)
ABCアフリカ ABC Africa(2001)
10話 Ten(2002)
5 five 小津安二郎に捧げる Five Dedicated to Ozu(2003)
明日へのチケット Tickets(2005)
それぞれのシネマ~「ロミオはどこ?」 Chacun Son Cinema - Where is My Romeo?(2007)
トスカーナの贋作(がんさく) Copie conforme(2010)
ライク・サムワン・イン・ラブ Like Someone in Love(2012)

『アッバス・キアロスタミ、キューマルス・プールアハマッド著、ショーレ・ゴルパリアン、土肥悦子訳『そして映画はつづく』(1994・晶文社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キアロスタミ」の意味・わかりやすい解説

キアロスタミ
Kiarostami, Abbas

[生]1940.6.22. イラン,テヘラン
[没]2016.7.4. フランス,パリ
イランの映画監督。40年に及ぶキャリアを通じて,現実とフィクションの境界線を探るような作品をつくり続けた。テヘラン大学で絵画グラフィック・デザインを学んだ。初監督した短編映画『パンと裏通り』Nān va kūcheh(1970)には,即興的演技,ドキュメンタリータッチ,現実の生活リズムなど,後年の作品の特徴となる要素が詰め込まれている。最初の長編『トラベラー』Mosāfer(1974)は,サッカーの試合を見るためにテヘラン行きを決意した反抗的な村の少年の話。1980年代には『一年生』Avalihā(1984),『ホームワーク』Mashq-e shab(1989)などイランの児童の生活をさらに掘り下げたドキュメンタリーを制作した。『クローズ・アップ』Namay-e nadīk(1990)は,有名映画監督になりすまして上流家庭から金をだまし取った,実在の映画マニアの男を描く。1997年にカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した『桜桃の味』Ta`m-e gīlāsは,ある男が自殺したのちに自分を埋葬してくれる者を探すという話で,おそらく自殺を推奨するという理由からイランでは上映禁止となった。ほかの作品に『風が吹くまま』Bād mā rā khāhad bord(1999),『5 five~小津安二郎に捧げる~』Five Dedicated to Ozu(2003。→小津安二郎),『トスカーナの贋作』Copie conforme(2010),『ライク・サムワン・イン・ラブ』Like Someone in Love(2012)など。2004年高松宮殿下記念世界文化賞受賞。

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百科事典マイペディア 「キアロスタミ」の意味・わかりやすい解説

キアロスタミ

イランの映画監督。テヘラン生れ。美術大学卒業後,グラフィック・デザイナーをへて国営の児童青少年知育協会に入り,児童映画の制作に携わる。短編《パンと裏通り》(1970年)が監督第1作。ノートを返すために友人の家を探し歩く少年の姿を追った長編第4作《友だちの家はどこ?》(1987年)で世界的に注目される。小さな物語をドキュメンタリー・タッチでみずみずしく描く作品が多い。主な作品に《ホームワーク》(1989年),《クローズ・アップ》(1990年),《そして人生はつづく》(1992年),《オリーブの林をぬけて》(1994年)などがある。

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