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キュタヒヤ Kütahya

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

キュタヒヤ
Kütahya

トルコ西部中央の都市で,同名県の県都。エスキシェヒルの南西 60km,丘陵のふもとを流れるポルスク川沿いに位置する。古くはコティアエウムとして知られ,マルマラ海地方からメソポタミアへの通路にあって,交易路の盛衰と運命をともにした。中世ビザンチンの町で,11世紀末にセルジューク・トルコに占領され,トルクメンの支配を経て,1429年オスマン帝国に吸収された。 16世紀には製陶業の中心として知られ,国内外のモスク,聖堂などにタイルや彩色陶器 (ファイアンス) を供給した。 19世紀末には隣接するエスキシェヒルの発展に凌駕されたが,20世紀なかばには再び工業が隆盛となり繁栄を回復した。精糖,なめし皮,硝酸ソーダ,製陶,絨毯製造などの工業のほか,海泡石パイプなどの手工業などもある。アフィヨンカラヒサル,エスキシェヒルと鉄道,ハイウェーで結ばれている。人口 13万 944 (1990) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

キュタヒヤ【Kütahya】

トルコ西部,ブルサの南東約120kmにある都市で,同名県の県都。人口14万1000(1994)。この地方の農業,商業の中心地。古くはコテュアエウムCotyaeumとよばれ,初期キリスト教の中心地でもあった。11世紀以降,トルコ系諸族,ティムールの侵入・支配を受け,オスマン帝国時代はサンジャク(県)の主都がおかれた。1833年,イスタンブールをめざし進攻するエジプトのムハンマド・アリー朝とオスマン帝国の講和がこの地で結ばれた(キュタヒヤ条約)。

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