クーザ(読み)くーざ(その他表記)Alexandru Ioan Cuza

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クーザ」の意味・わかりやすい解説

クーザ
くーざ
Alexandru Ioan Cuza
(1820―1873)

ルーマニア自治公国の初代大公。モルダビアの古い貴族の家に生まれる。パリ、ボローニャに学んで進歩思想に触れ、1848年のモルダビア民族革命に参加した。クリミア戦争後自治公国となったモルダビア、ワラキア両国の議会は、59年それぞれの会議でともに彼を大公に選出した。彼はトルコ説得、61年に両公国を統一してルーマニア自治公国とし、教育改革、ナポレオン法典の導入、教会領の国有化、土地改革などの大改革を断行した。土地貴族はそれに強く抵抗し、また財政赤字による給料遅配が軍人反感を招いた。66年に軍士官が宮廷に乱入し退位を要求、クーザは亡命し、ハイデルベルクで客死した。

木戸 蓊]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クーザ」の意味・わかりやすい解説

クーザ
Cuza, Alexandru Ioan

[生]1820.3.20. モルドバフーシ
[没]1873.5.15. ハイデルベルク
ルーマニア公 (在位 1859~66) 。フランス,イタリアに遊学後,1848年モルドバの革命運動に参加。 59年モルドバ公に選挙され,次いでワラキア公にも選挙されてドナウ両公国の統一が実現し,ルーマニアの名称のもとに公位についた。 61年ヨーロッパ列強とオスマン帝国に承認され,62年には内閣と議会が成立。 64年新憲法を発布し,国民に参政権を与えた。さらに農地改革を初めとする民主的改革を実施したが,保守的大地主層の反感を買い,66年クーデターで国外に追放され,以後亡命生活をおくった。

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367日誕生日大事典 「クーザ」の解説

クーザ

生年月日:1820年3月20日
ルーマニア公(1859〜66)
1873年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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