改訂新版 世界大百科事典 「教会領」の意味・わかりやすい解説
教会領 (きょうかいりょう)
ecclesiastical property
Kirchengut[ドイツ]
キリスト教会の領有した土地財産。ローマ帝国内でキリスト教がまだ未公認であった3世紀にすでに教会はかなりの動・不動産を所有し,司教によって管理されていた。コンスタンティヌス帝のキリスト教公認とそれに伴う教会への財産返還によって,教会領は法的基盤をえ,同時に広範なインムニテート(不輸不入)付与による公的保護を受けることになったが,この特権は中世にそのまま継承された。
476年のいわゆる西ローマ帝国の滅亡以後,西方の旧元老院議員階層のなかには聖職者になるものが多く,彼らの旧領も教会領となったし,メロビング時代にはアイルランド人修道士の大陸伝道によって多くの教会がガリアに建設されたが,彼らは開墾活動によって教会領を増大した。彼らから強い影響を受けたフランク人も,寄進によってこの傾向を促進した。修道制が普及するとともに増大した修道院領も教会領に準ずるものとなった。そのうえすでに7世紀には私有教会領もいたるところに出現した。650年のシャーロン教会会議第14条によれば,国王,大領主のみならず小領主や農民まで,社会のあらゆる階層が私有教会の建設を行った。
7世紀末からウィリブロードやボニファティウスらアングロ・サクソン人による伝道活動は,ローマ教皇およびフランク国王らの強い支援のもとに進められたから,ガリアとゲルマニアの教会制度の整備のみならず,教会領の拡大にも貢献するところ大であった。メロビング朝の宮宰カール・マルテルは対イスラム戦の騎兵軍を創設するため大規模に教会領を没収して封臣に与えたし,カロリング時代にもしばしばこの没収は行われたが,それによって教会領が激減したようには思われない。なぜなら,教会領は教会法によって譲渡不可能なものであったから,この没収によっても教会の上級所有権はそのままであったし,また農民たちはさまざまな国家的負担を免れるために農地を教会に寄進し,プレカリアとして用益権を保有したり,寄進地の数倍の農地を貸借することが広く行われたからである。しかも私有教会も司教のたびたびの抗議にもかかわらず一般化し,794年のフランクフルト教会会議ではついに公認されるにいたり,9~10世紀にはむしろ最盛期を迎えた。
〈教会は血を好まず〉の原則から,教会領に守護(アドボカトゥス,フォークト)が置かれるようになったのもカロリング時代であるが,私有教会ではその設立者がこの職を世襲することが多かった。10世紀後半からの神聖ローマ帝国のオットー諸帝の教会政策は,教会領にさらに各種の国王大権を与えたので,それは大公領に比肩するまでになった。私有教会領は10世紀から始まる教会改革のなかで,しだいに正規の教会領や修道院領に吸収されて姿を消してゆくが,教会領そのものは封建社会内の諸階層の要求の目的物として,また社会諸矛盾の緩衝物として重要な役割を果たし続けた。イギリスのヘンリー8世,神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の修道院解散やフランス革命の教会領収用はその使命終了を示す。
執筆者:今野 國雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報