グティ人(読み)グティじん(その他表記)Gutians

改訂新版 世界大百科事典 「グティ人」の意味・わかりやすい解説

グティ人 (グティじん)
Gutians

北西イランのザーグロス山脈中に住んでいた古代オリエントの山岳民族。人種的起源はなお不詳であるが,エラム人,ルルビ人,カッシート人らと近い関係にある。グティ人の名が最初に同時代史料に現れるのはアッカドシャルカリシャリShar-kali-sharri王の治世(前2217-前2193)で,グティ王を捕らえたという記録がある。グティ人はシャルカリシャリの死後衰亡・混乱期にはいったアッカド王国を圧倒して,その滅亡の主要原因の一つとなった。グティ人は伝承によれば全バビロニアを,おそらく実際には主としてアッカド地方を,前22世紀前半から末期にかけて支配した。記録はアッカド語で書かれている。一伝承では約100年間に21人のグティ王が支配したという。シュメール人の伝承によれば,〈山岳の毒蛇〉グティ人の最後の王ティリガンTiriganを破ってバビロニアを解放したのは,ウルクの支配者ウトゥヘガルUtuhegalであった。グティ人はウル第3王朝時代以降も長い間ザーグロス山脈中の故国にあって,メソポタミアの諸王国や都市をおびやかし続けた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グティ人」の意味・わかりやすい解説

グティ人
グティじん
Guti

メソポタミア東方のザグロス山脈にいた遊牧民族。アッカド王ナラム=シンはグティ人を征服した (前 23世紀頃) が,のち再び侵入を受け,アッカド王朝は滅ぼされた。その後,グティ人は約1世紀の間,グティ王朝を建てバビロニアの大半を支配したが,その歴史はほとんど不明である。前 2130年頃ウルク第五王朝のウトゥケガル王によってウルクから駆逐され,それとともにバビロニアの支配は終った。

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世界大百科事典(旧版)内のグティ人の言及

【バビロニア】より

…ナラムシンの治世に回復したアッカド帝国の栄光は,しかし永続きせず,その子シャルカリシャリ(前2217‐前2193)の代でその歴史は事実上終わる。 アッカド帝国滅亡の直接の原因は,北東の山岳地帯からやってきたグティ人の侵入であった。グティ人はそのまま南メソポタミアの大半を支配したが,ラガシュなどのように独立を保ち,遠隔地との交易で栄えた国もあった。…

【メソポタミア】より

…またこれ以後セム人がメソポタミア最南部地方にも広く住んだ。第4代王ナラムシンはさらに多くの外征を企て,王朝版図は最大となったが,南部都市を核とする大反乱が発生,また東方蛮族グティ人も王朝内に侵入を開始した。次王ののち王朝はグティ人侵入により混乱に陥るが,南部シュメール地方は比較的平和であり,とりわけラガシュは繁栄を享受していた。…

※「グティ人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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