コワニェ(読み)Coignet,Fran【G0761/ZN】ois(英語表記)Coignet, François

朝日日本歴史人物事典 「コワニェ」の解説

コワニェ

没年:1902.6.18(1902.6.18)
生年:1835
幕末・明治初年,鉱山の近代化に貢献したフランス技師。フランスのサンテチェンヌに生まれ,1855年同地の鉱山学校を卒業。翌年から鉱山技師として4年間はフランス本国で従事,その後はアルジェリア,イスパニア,マダガスカル,カリフォルニア,メキシコで活躍。1867(慶応3)年パリ万博を契機薩摩藩の鉱山技師として来日,翌明治1(1868)年9月には,明治政府最初のお雇い外国人として生野鉱山(兵庫県朝来郡生野町)に赴任(いずれも五代友厚の建議だったという)。翌2年生野鉱山の近代化を建議し,模範鉱山として「修学実験所」とする意向であった。佐渡,別子などその恩恵に浴した官・民営鉱山は少なくない。また官命により全国の鉱山を調査,明治7年その成果を「日本鉱物資源に関する覚書」と題してフランス鉱業協会の彙報に発表,金メダルを受賞した。同10年1月職を解かれ帰国。<参考文献>石川準吉編訳『日本鉱物資源に関する覚書』,大蔵省編「工部省沿革報告」(『明治前期財政経済史料集成』17巻)

(末岡照啓)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「コワニェ」の解説

コワニエ Coignet, François

1837-1902 フランスの鉱山技術者。
1837年3月10日生まれ。慶応3年(1867)薩摩(さつま)鹿児島藩の招きで来日。明治元年明治政府はじめてのお雇い外国人技師となる。生野(いくの)銀山の技師をつとめ,別子銅山の開発にもつくした。10年帰国。1902年6月18日死去。65歳。ロワール県出身。サンテチエンヌ鉱山学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android