サウンドオブミュージック

デジタル大辞泉 の解説

サウンド‐オブ‐ミュージック(The Sound of Music)

ロジャース作曲オスカー=ハマースタイン2世作詞脚本によるミュージカル。1959年ブロードウエー初演。第二次大戦前夜のオーストリア舞台に、歌の好きな修道女マリアトラップ一家交流を描いたもので、実話に基づく。1960年、トニー賞受賞

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デジタル大辞泉プラス の解説

サウンド・オブ・ミュージック

①1959年初演のミュージカル。原題《The Sound of Music》。脚本:ハワード・リンゼイ、ラッセル・クローズ、作詞:オスカー・ハマースタイン2世、作曲:リチャード・ロジャース。ナチスドイツに併合されたオーストリアからスイスに亡命したトラップ大佐一家の実話に基づく作品。1960年に第14回トニー賞(ミュージカル作品賞)を受賞。
②1965年製作のアメリカ映画。原題《The Sound of Music》。①を原作とする。ナチス・ドイツの侵略を逃れ、オーストリアからスイスに亡命したトラップ大佐一家の実話に基づく。監督:ロバート・ワイズ、出演:ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマー、リチャード・ヘイドン。第38回米国アカデミー賞作品賞、監督賞、編集賞、編曲賞、音響賞受賞。第23回米国ゴールデングローブ賞作品賞(ミュージカル・コメディ部門)受賞。

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

サウンド・オブ・ミュージック
さうんどおぶみゅーじっく
The Sound of Music

ミュージカル。マリア・オーガスタ・トラップが自らの半生をつづった『ザ・トラップ・ファミリー・シンガーズ』をもとにした作品で、1959年11月からブロードウェーで1443回続演された。1938年のオーストリアのアルプス地方が舞台。志願修道女のマリアがトラップ大佐の母のない7人の子供の家庭教師となり、愛情と音楽で一家に明るさを取り戻し、やがて大佐と結婚、トラップ・シンガーズを結成し、ナチスの手を逃れてアメリカへ亡命する。作詞オスカー・ハマーシュタイン・ジュニア、作曲リチャード・ロジャースの名コンビによる「ドレミの歌」「エーデルワイス」などの佳曲にあふれ、ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演の映画化(1965)も大ヒットした。日本での翻訳初演は65年(昭和40)。

青木 啓]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music

アメリカのミュージカル。作曲 R.ロジャーズ,作詩 O.ハマースタイン 2世。 1959年初演。このコンビによる最後の作品となった。 1930年代後半のオーストリアを舞台に,妻に先立たれた退役軍人トラップ大佐と家庭教師マリアとの結婚や,一家がナチスの追及を逃れてスイスに亡命するまでを描いた物語。心温まる物語と美しいメロディーで大成功を収めた。 65年に映画化され,アカデミー作品賞・監督賞・音楽賞などを受賞。

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とっさの日本語便利帳 の解説

「サウンド・オブ・ミュージック」

<名セリフ>
勇気を出して、すべての山に登りなさい。(一九六五/米)
恋に悩む見習い修道女マリア(ジュリー・アンドリュース)に、院長(ペギー・ウッド)は愛に生きるようにすすめる。

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世界大百科事典(旧版)内のサウンドオブミュージックの言及

【20世紀フォックス[会社]】より

…さらに,4年の歳月と4000万ドルを費やしてローマで製作された空前の超大作《クレオパトラ》(1963)の興行的失敗が致命的な打撃をあたえることになった。56年に独立プロデューサーに転じて《史上最大の作戦》(1962)などを製作したザナックが62年から復帰して社長になったのもそんな事情からであり,その後《サウンド・オブ・ミュージック》(1965)が映画史上の記録的なヒットとなり,《猿の惑星》(1968)といったヒット作もつづいたが,過信にもとづいた大作主義による《ドリトル先生不思議な旅》(1967),《スター!》(1968)が惨敗し,《パットン大戦車軍団》《M》(ともに1970)といったヒット作があったにもかかわらず,70年には7700万ドルの欠損を記録,71年にはザナックが引退し,不況のなかで首脳の追放と交代がつづいた。その間,テレビ映画を製作し,また《フレンチ・コネクション》(1971),《ポセイドン・アドベンチャー》(1972),《タワーリングインフェルノ》(1974),《オーメン》(1976),《スター・ウォーズ》《愛と喝采の日々》《ジュリア》(ともに1977),《結婚しない女》(1978)などのヒット作が生まれ,80年にはハリウッド史上初めての女社長として女優出身のシェリー・ランシングSherry Lansingが君臨し,《スター・ウォーズ 帝国の逆襲》(1980)などを製作して大ヒットを飛ばしたが,メジャー各社が大資本の配下におかれているなかでコングロマリットに吸収合併されずに〈プライベート・カンパニー〉(株主数が50人を超えず,株式が一般公開されていない会社)として孤軍奮闘してきた20世紀フォックスも,81年4月には,アメリカの石油王マービン・デービスに約8億ドルで〈身売り〉してユナイテッド・テレビジョン社に合併され,シェリー・ランシングの辞任ののち,83年1月,《ゲッタウェイ》や《大いなる勇者》(ともに1972)などの独立プロデューサー,ジョー・ワイザンJoe Wizanが社長に任命された。…

【ミュージカル】より

… しかしアメリカのミュージカルが都会的でしゃれた作品を多く生んだのは,ほぼ第2次大戦中までで,この時期に大きな変化が起こる。すなわち,ロジャーズが健康のすぐれないハートと仕事をすることをやめ,《ショー・ボート》の台本と詞を担当したハマースタインと組み,《オクラホマ!》(1943)をはじめとして《回転木馬》(1945),《南太平洋》(1949),《王様と私》(1951),《サウンド・オブ・ミュージック》(1959)などを発表したのである。これらはいずれも田舎や異国を舞台にし,滑稽さよりもまじめさによって訴える,ときには感傷的にさえなる作品であった。…

【ミュージカル映画】より

…そのなかから,例外的に大ヒットした《ウェスト・サイド物語》(1961)が,ブロードウェー・ミュージカルの大型映画化ブームを呼ぶことになるが,ナタリー・ウッド主演の《ジプシー》(1962)やオードリー・ヘップバーン主演の《マイ・フェア・レディ》(1964)は,歌や踊りとは縁のないスターを起用して,歌はプロの歌手の歌をダビングし,踊りはプロのダンサーが代わって踊るという,ステージのオリジナルの迫力と魅力をまったく欠くミュージカル映画であった。そのなかでは,《メリー・ポピンズ》(1964)につづく,本格的に歌って踊れるジュリー・アンドリュースJulie Andrews(1935‐ )主演のブロードウェー・ミュージカルの70ミリ映画化《サウンド・オブ・ミュージック》(1965)が,業界で〈サウンド・オブ・マネー〉と呼ばれたほどの記録的ヒットを飛ばしたが,ミュージカル映画というよりは家族向きの〈音楽映画〉と呼ぶべき作品で,本来のミュージカル映画というジャンルに寄与するところは少なく,むしろ無策なハリウッドに悪影響を残したともいわれる。ワーナー・ブラザース=セブン・アーツの《キャメロット》(1967),20世紀フォックスの《ドリトル先生不思議な旅》(1967),コロムビアの《ファニー・ガール》(1968),MGMの《チップス先生さようなら》(1969),パラマウントの《ペンチャー・ワゴン》(1969)など,《サウンド・オブ・ミュージック》の成功に追随しようとした〈大作〉はいずれも失敗し,各社に損害を与えた。…

【ロジャーズ】より

…その中には《マイ・ファニー・バレンタインMy Funny Valentine》などの名歌が含まれていた。43年には作詞家オスカー・ハマースタインと新コンビを組み,《オクラホマ!Oklahoma!》(1943),《南太平洋South Pacific》(1949),《サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music》(1959)など不朽の名作を書いた。【中村 とうよう】。…

※「サウンドオブミュージック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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