サルベーミニ(その他表記)Gaetano Salvemini

改訂新版 世界大百科事典 「サルベーミニ」の意味・わかりやすい解説

サルベーミニ
Gaetano Salvemini
生没年:1873-1957

イタリア歴史家プーリア州の貧しい農家に生まれる。社会主義,マルクス主義に接近して,1893年社会党入党。他方P.ビラリの影響もあって,歴史学や南部問題に対する関心を高め,99年《1280-1295年のフィレンツェにおける貴族平民》を公表。1901年からメッシナ大学で近代史の講義を担当,05年には《フランス革命》や《マッツィーニの宗教,政治・社会思想》などのすぐれた歴史書を出版する。10年にピサ大学の教授となり,翌年デ・ビーティ・デ・マルコといっしょに週刊評論誌《ウニタ》を創刊(-1920),反リビア戦争,反保護主義の運動を繰り広げる。同時に,もっぱら北部の工業労働者のみを重視し,南部の農民には救いの手を差し伸べようとしない社会党の政策に対しても強い批判を行い,同党から離脱した。第1次大戦には志願兵として参加。19年下院議員に選出された。ファシズム時代には,反対運動を展開し,25年に逮捕されるが,のちにパリに逃れ,イギリスを経て,33年以降はアメリカ合衆国に居を構え,ハーバード大学での講義のかたわら,ファシズムに対する抗議・批判の文筆活動を続けた。その時期著作に《イタリアにおけるファシスト独裁》(1927)や《ファシズムの斧の下で》(1936)などがある。第2次大戦後の50年,イタリアに戻り,フィレンツェ大学に復職。61年から彼の全集が出版されている。
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百科事典マイペディア 「サルベーミニ」の意味・わかりやすい解説

サルベーミニ

イタリアの歴史家。メッシナ,ピサ,フィレンツェの各大学教授を歴任。イタリア南部の解放運動に従事した。ファシズムに反対,米国に亡命してハーバード大学で教鞭をとった。第2次大戦後帰国。左右両派に対する第三勢力の指導的地位にあった。

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世界大百科事典(旧版)内のサルベーミニの言及

【ボーチェ】より

…事実,南部問題,普通選挙権,教育,イタリアによるリビア併合,回復主義などの政治・社会問題が,主要記事として登場した。しかし寄稿家たちの思想基盤の多様性がリビア戦争を機に雑誌の分裂を推進する結果になり,この戦争に強く反対したサルベーミニがまず脱退し,一時編集を受けもったパピーニは新たに《ラチェルバ》誌を創刊して未来派に接近し,プレッツォリーニ自身も第1次世界大戦への積極的な参戦論を唱えるようになり,雑誌は初期の目的を完全に見失うにいたった。その後,デ・ロベルティスが編集を担当すると,雑誌は完全な文芸誌と化し,ウンガレッティをはじめ,カルダレリ,カンパーナ,セラなど多彩な寄稿家を加えるようになったが,新たな文学運動を展開することもなく,単なるアンソロジー的な性格の強い雑誌となった。…

※「サルベーミニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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