コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

サンディーノ Sandino, Augusto César

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サンディーノ
Sandino, Augusto César

[生]1893.5.18. ニキノオモ
[没]1934.2.23. マナグア
ニカラグアの軍人,民族主義者。 1926年親米保守党政権に対する自由党の反乱に参加。自由党の将軍たちがアメリカ合衆国の調停を受入れたのに対し,サンディーノだけが当時軍事干渉をしていた合衆国軍が撤退するまで戦うと宣言,ゲリラ戦を開始した。ゲリラ闘争は当時合衆国の軍事干渉や支配に反発していたラテンアメリカ地域からの支援を得て,33年1月合衆国軍が撤退するまで続けられた。撤退後政府との間に平和協定を結んだが,サンディーノは 34年に国家警備隊によって暗殺された。 79年ニカラグア革命をになったサンディニスタ民族解放戦線は彼にちなんで命名された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

サンディーノ

ニカラグアの革命家。米国の後押しで政権を握っているA.ディアス大統領と1926年に派遣された米国海兵隊に対してゲリラ戦争を展開した。1933年に米軍が撤退したあと,のちに政権を握ることになるソモサ将軍の命令で暗殺された。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

サンディーノ【Augusto César Sandino】

1895‐1934
ニカラグアの軍人,革命家。農民の子として生まれ,国外で働いたのちに帰国し,軍事指導者として頭角をあらわす。1927年にアメリカが海兵隊をニカラグアに派遣した際,彼は同国北部で反米ゲリラ戦争を行い,国際的な注目を集めた。33年に米軍が撤退したのち,説得されて武器を捨てたが,政府の命令によって暗殺された。彼の名前はニカラグアの解放闘争のシンボルとなり,79年にソモサ体制を倒した革命運動はサンディニスタを名のっている。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サンディーノ
さんでぃーの
Augusto Csar Sandino
(1895―1934)

アメリカの軍事占領に抵抗して闘ったニカラグアの民族主義者。グラナダ市近くの小村ニキノオモで、コーヒー地主の父親と農婦との間の私生児として生まれた。成人して農業労働者などの職を転々としたのち、1925年メキシコのタンピコに行き、メキシコ革命後の雰囲気に接して翌年帰国した。帰国後私兵を結集して、政府軍と闘っていた自由党軍に参加し将軍となった。アメリカ政府の調停で休戦が成立したのちも、アメリカ軍がこの国に駐留している限り彼らと闘うと宣言し、民族主権防衛軍を名のって、27年からアメリカ軍が撤退する33年までゲリラ戦で闘った。アメリカ軍撤退後和平に応じたが、後のニカラグアの独裁者A・ソモサにより謀殺された。79年にソモサ独裁政権を倒した革命運動は、彼の名をとってサンディニスタ運動とよばれる。[加茂雄三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のサンディーノの言及

【ニカラグア】より

…自由党は反乱を起こしたが,その後多くは妥協に走り,28年にアメリカの監視下で行われた大統領選挙では反乱派のホセ・マリア・モンカダが当選している。しかし,反ディアス反乱の指導者の一人A.C.サンディーノ将軍は,アメリカ海兵隊の撤収まで銃を置くことを拒否した。 この間,アメリカ軍に訓練された国家警備隊の司令官アナスタシオ・ソモサ将軍(彼は1934年にサンディーノを暗殺させている)が実力をつけ,37年に自由・保守両党の支持を取りつけて大統領に就任した。…

※「サンディーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

サンディーノの関連キーワード吉田ルイ子

今日のキーワード

天網恢恢疎にして漏らさず

《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android