サーリネン父子(読み)サーリネンふし

改訂新版 世界大百科事典 「サーリネン父子」の意味・わかりやすい解説

サーリネン父子 (サーリネンふし)

フィンランド出身の建築家父子。父サーリネンGottlieb Eliel Saarinen(1873-1950)は,ランタサルミ生れ。1896年よりゲセリウスHerman Gesellius,リンドグレンArmas Lindgrenと共同で仕事を始め,1900年パリ万国博フィンランド館で国際的にも知られるようになる。その直後にヘルシンキ西郊に共同の住宅兼アトリエ〈フイットレスク〉(1902)を建てる。この建物にはW.モリスらのアーツ・アンド・クラフツ・ムーブメント,およびウィーングラスゴーの室内設計への共感が見てとれる。ヘルシンキ駅(1914)は故国での代表作であるが,当時の折衷主義をふまえながら単純化された装飾と合理的平面プランで,ボナッツPaul Bonatzのシュトゥットガルト駅と共に近代初期の駅舎建築の代表例とされる。シカゴ・トリビューン社屋国際競技設計に入賞(1922,第2位)を機に,1923年渡米し永住。翌年からデトロイト近郊のクランブルックCranbrookで手がけた数棟の学校建築は,そのデザイン密度は高いが,全体としては単純化され近代化された折衷様式をこえていない。

 子のサーリネンEero Saarinen(1910-61)はキルコヌミに生まれ,1934年イェール大学卒業後,父の協力者となる。ミネアポリスのキリスト・ルター派教会(1949)では,材料・構造には父の巧みさが,空間や照明には子の大胆さが混じりあっている。しかし,ゼネラル・モーターズ社技術センター(1956)は,父の存命中着手されたが,完成した単純明快な姿は父をこえた子サーリネンの作品となっている。父の没する直前,ジェファソン大統領記念碑競技設計に独力で入賞(1948)して以来,子サーリネンの作品は機能を重んじながらも近代技術が生んだ新しい構造を大胆に用いてゆく。すなわち,マサチューセッツ工科大学クレスジ講堂(1956)ではシェル・ドーム(貝殻状ドーム)を用い,イェール大学インガルス室内ホッケー場(1959),ダラス空港(1962),ニューヨーク・ケネディ空港TWAターミナル(1962)など,ほとんど一作ごとに形態と構造を変えている。他方,ロンドンやオスロのアメリカ大使館では,伝統と風土に合わせるネオ・アカデミックな手法も試みた。父子は,発展期のアメリカ近代建築の形成に大きく寄与したといえる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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