グラスゴー(読み)ぐらすごー(英語表記)Glasgow

翻訳|Glasgow

デジタル大辞泉 「グラスゴー」の意味・読み・例文・類語

グラスゴー(Glasgow)

英国スコットランド西岸の工業都市クライド川の河港として発達。造船・鉄鋼業が盛ん。1451年創立のグラスゴー大学がある。人口、行政区58万(2008)。

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精選版 日本国語大辞典 「グラスゴー」の意味・読み・例文・類語

グラスゴー

  1. ( Glasgow ) イギリス、スコットランド中西部の都市。クライド川河口部にある。一八世紀以来、イギリス植民地との貿易により世界的な貿易港として発展。鉄鋼・造船を主とする重工業が盛ん。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グラスゴー」の意味・わかりやすい解説

グラスゴー(イギリス)
ぐらすごー
Glasgow

イギリス、スコットランド中部、ストラスクライド地区の港湾・工業都市。スコットランド最大の都市で、人口57万7869(2001)。クライド川河口より20キロメートル上流に位置する。地名はダーク・グレン(暗い谷の意)に由来する。各種の商工業が集積するスコットランド経済の一大中心地で、交通の要衝。1707年イングランドとスコットランドとの連合後から産業革命期に至るまでに急速な発展を遂げ、東岸にあるスコットランド文化の中心地エジンバラとは対照的に、イギリス北方経済圏の中心地としての地位を築いた。繊維工業がもっとも早くから立地し、現在はこれにかわって鉄鋼、造船工業が重要産業をなす。クライド川の沿岸から河口にかけての臨港工業地帯には多くの造船所が集積し、世界最大の豪華客船「クイーン・エリザベス1世号」やイギリス海軍の艦艇はここで建造された。そのほか化学、ガラス、製紙、電気機械、ウイスキーなどの工業が発達している。

 市の発展に伴って、1800年からわずか70年間に人口は約7倍に急増し、1914年には100万人を超え、30年には120万を数えた。製鉄能力、建造船舶トン数は、往時の工業先進国ドイツやアメリカを優に超え、これらの工業製品はグラスゴー港から繊維製品などとともに海外に輸出された。グラスゴーは世界に君臨する大英帝国の栄光の一翼を担っていた。しかし最近の人口減少は著しい。1951年に108万人であったものが、71年には89万、81年には76万、91年には66万へと減少して100万都市の名を返上し、構造的不況、失業に悩んでいる。

 市の南郊50キロメートルのプレストウィックに国際空港がある。鉄道ではロンドン・北東鉄道(LNER)とロンドン・スコットランド鉄道(LMSR)の発着駅となっている。グラスゴー大学は、アダム・スミスが経済学・倫理学講座を担当した大学として有名で、公園からみる尖塔(せんとう)が美しい。第二次世界大戦中には市街地の主要部が空襲爆撃され、高層住宅が大きな被害を受けた。イギリス有数の出版社ウィリアム・コリンズ社は、1819年創設以来グラスゴーを本拠地としている。

[米田 巌]

歴史

先史時代、この一帯に集落のあったことが判明しており、また6世紀なかばごろ聖ケンティガーンが教会を建てたといわれているが、グラスゴーが明確に歴史に登場するのは12世紀である。同世紀初めにグラスゴー司教区が設けられ、以後は司教都市として発展してきた。またハイランドローランドを結ぶ交易地としても栄え、1450年には王許都市としての特権を与えられ、翌年にはグラスゴー大学が創設された。1638年の「国民契約」作成に伴う革命の際には、グラスゴー大聖堂においてスコットランド教会総会が開催され、長老主義の完全復活が決議された。

 グラスゴーの劇的変化は18世紀に生じた。1707年のイングランドとの連合により、スコットランドの諸都市、とくにグラスゴーには、アメリカ貿易と西インド貿易による繁栄の機会が与えられた。とりわけ、たばこ交易の発展は著しく、多数の「たばこ王」を生み出した。しかしアメリカ独立革命がたばこ交易に甚大な影響を与えたので、独立戦争後グラスゴー商人は綿花輸入に転じ、木綿工業は多くの人口をグラスゴーに引き付けた。産業革命後には炭坑業や、とくに造船業が盛んとなったが、第一次世界大戦と第二次世界大戦との戦間期(1918~39)には不景気にみまわれて、左翼の政治活動が活発となった。第二次世界大戦以降、産業は多様化しつつあるが、景気は上昇せず、さまざまな都市問題を抱え込んでいる。

[飯島啓二]


グラスゴー(Ellen Anderson Glasgow)
ぐらすごー
Ellen Anderson Glasgow
(1873―1945)

アメリカの女流作家バージニアリッチモンドの名家に生まれたが、病弱のため学校教育を受けず、文学に親しんだ。感傷的なロマンスを排し、南北戦争以後の南部の現実を直視することを主張して『人民の声』(1900)以後、バージニアを舞台にした南部の「社会史」を書き続けた。南部の寒村に生きるたくましい女性を描いた『不毛の土地』(1925)、『鉄の鉱脈』(1935)が代表作。ほかに1942年度ピュリッツァー賞受賞作『このわれらの生に』(1941)、死後出版された自伝『内なる女』(1954)がある。

[井上謙治]

『L・オーキンクロス著、佐藤宏子訳『アメリカ文学の開拓者たち』(1971・研究社出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グラスゴー」の意味・わかりやすい解説

グラスゴー
Glasgow

イギリススコットランド中西部の都市。単一自治体(カウンシルエリア council area)。1975年の自治体再編でストラスクライド県の県都および一地区となり,1996年に単一自治体となった。全域が旧ラナークシャー県に属する。スコットランド最大の都市で,その経済中心地。大西洋に注ぐクライド川の下流部に臨む港湾都市で,市中心部を東南東から西北西へ貫流する同川の沿岸には埠頭や造船所,船舶関係の機械工場などが連なる。考古学的史料により先史時代からここに集落が形成されていたと考えられるが,今日のグラスゴーは,550年頃イギリスの初期キリスト教の聖人マンゴーがこの地に宗教集落と礼拝堂を建設したことに始まる。クライド川最下流の渡河点で,自然の交通路が集まる要地を占めていたため,早くから商業中心地となり,1603年にスコットランド王ジェームズ6世(→ジェームズ1世)がイングランド王位を継承すると,しだいに重要性を増していった。港からは石炭,毛織物,ニシンなどを積み出していたが,18世紀初めアメリカ大陸との交易が始まると,その拠点として急発展し,特にたばこの取り引きで繁栄。それに伴ってクライド川の浚渫(しゅんせつ)が進み,大型船が市の中心部まで遡航できるようになった。1775年アメリカ独立戦争によりたばこ交易が中止されると,市の経済は大きな打撃を受けたが,産業革命の進展とともに,石炭採掘や,鋳鉄,化学などの工業が盛んとなり,19世紀に入ると造船業が発達,人口も急増してスコットランド最大の都市となった。第1次世界大戦後は造船業と重工業は衰退,現在は多様化し,繊維,食品,飲料,たばこ,化学,機械,印刷などの工業が行なわれる。学術,文化の中心地でもあり,1451年創立のグラスゴー大学をはじめとする多数の高等教育機関や,図書館,博物館,美術館などが集まる。見本市会場スコティッシュ・エキシビション・カンファレンスセンター(1985)も所在。グラスゴー大聖堂などの古い建築物もいくつかあるが,市街は 19世紀の工業発展に伴って再開発されたため,18世紀以前の建築物は少ない。増加を続ける市の人口を一部吸収するため,第2次世界大戦後,近郊にイーストキルブライドカンバーノールドの二つのニュータウンが建設された。単一自治体面積 177km2。単一自治体人口 58万690(2006推計),都市圏人口 117万1390(2004推計)。

グラスゴー
Glasgow, Ellen (Anderson Gholson)

[生]1874.4.22. バージニア,リッチモンド
[没]1945.11.21. バージニア,リッチモンド
アメリカの女流作家。古い名門の出身で,18歳から小説を書きはじめた。病弱のためもあって正規の教育はほとんど受けず,父親の膨大な蔵書に親しみ,生涯独身で故郷バージニアにとどまり,その作品の世界も周囲の生活に限られていたが,ほかの南部の地方主義的な作家とは異なり,「失われた」南部の栄光を美化する感傷的な南部観にとらわれず,ユーモアと皮肉を交えながら南部の欠陥を鋭く批判した。作家としての成熟期は第1次世界大戦後で,きびしい筆致で南部の農村に生きる孤独な女の一生を描いた『不毛の地』 Barren Ground (1925) をはじめ,リアリスティックな作品を次々に発表。不屈の南部女性を主人公にした『不屈の人』 Vein of Iron (35) ,第2次世界大戦前夜の退廃的な南部上流社会を描く『このわれらの生に』 In This Our Life (41,ピュリッツァー賞) などがある。死後,自伝『内なる女性』 The Woman Within (54) が出版された。

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改訂新版 世界大百科事典 「グラスゴー」の意味・わかりやすい解説

グラスゴー
Glasgow

イギリス,スコットランド中部西岸にあるストラスクライド州の工業都市で州都。地名は〈緑の峡谷〉を意味するケルト語gleschuが語源である。人口58万(2001)でスコットランド最大,イギリス全体でも4位にある。クライド河口部に位置し,貿易港であると同時に,炭田,水運などの立地条件を背景に工業が発達,クライド川流域Clydeside工業地域の中核を形成している。伝統ある繊維,タバコ,ウィスキー醸造のほか鉄鋼,化学,電子などの工業が発達し,クライド川沿いには多くの造船所が立地する。市街地はクライド川両岸に発達しているが,中心部は北岸にあり,ジョージ広場周辺に市庁舎,スコットランド銀行などが集中している。市内には12~13世紀建立の大聖堂,1451年創設でアダム・スミスらを輩出したグラスゴー大学のほか,ミッチェル図書館,ケルビングローブ公園などがある。工業化に伴いハイランド地方やアイルランドから労働者が流入したため,市街地の一部がスラム化し,1950年代より再開発事業が推進されている。また郊外にはカンバーノールドとイースト・キルブライドにニュータウンが建設されている。

 先史時代の集落は,現在の都心部があるドラムリン(氷堆石)上に位置し,交易・交通中心として機能していた。ローマ時代にはアントニウスの防壁に沿う要衝となったが,6世紀後半に聖マンゴが大聖堂を建設してからは宗教の中心ともなり,1115年にはデービッド1世により司教区が設置され,1180年ころにウィリアム獅子王が自治権を認めた。しかしグラスゴーの本格的な発展は,1707年のスコットランドとイングランドの合併後であり,大西洋貿易の拠点港として18世紀のタバコ貿易,19世紀の綿花貿易で急成長していった。産業革命においてもグラスゴーは重要な役割を果たし,1757年にはイギリスの技術者J.ワットが来住,1812年にはイギリス最初の蒸気客船コメット号の進水などが相次いだ。
執筆者:


グラスゴー
Ellen Glasgow
生没年:1874-1945

アメリカの作家。バージニア州リッチモンドの上流社会の娘に生まれたが,感傷主義を排しリアリスティックな目で,南北戦争前から現代に至る南部の社会的変遷,風俗を描き,地方主義作家の代表的な一人に数えられる。代表作《不毛の地》(1925)は不毛の地に打ち勝つたくましい女性を描く。南部の伝統を風刺した《このわれらの生に》(1941)でピュリッツァー賞を受ける。死後すぐれた自伝《内なる女》(1954)が出版された。
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百科事典マイペディア 「グラスゴー」の意味・わかりやすい解説

グラスゴー

英国,スコットランド中部,大西洋岸,クライド川河口近くにまたがるスコットランド最大の商工業都市,港湾都市。付近に石灰の産が多く,造船,製鉄,機械,化学,食品,繊維などの工業が行われる。起源は古く,1178年自治権を得,17―18世紀に英国の大西洋貿易の拠点となり,タバコ,砂糖,ラム酒などの貿易で繁栄。産業革命期に諸工業が興り飛躍的に発展した。大学(1451年創立),大聖堂,美術館など文化施設も多い。59万3000人(2011)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「グラスゴー」の解説

グラスゴー
Glasgow

スコットランド中部,大西洋岸のクライド川河口に位置する商工業都市。1707年のイングランドとの合同以後,大西洋貿易の拠点として急速に発展。産業革命後は造船業などを中心に大工業都市となったが,第二次世界大戦後の産業構造の激変によって深刻な不況に見舞われている。

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