シュトゥルム
Der Sturm
ドイツ表現主義運動を芸術理論の面でリードした代表的機関誌。誌名は〈嵐〉の意。1910年3月,〈文化と芸術のための週刊誌〉として,ワルデンHerwarth Walden(1878-1941)によりベルリンで発刊。美術,音楽,文学,舞台芸術など広い分野にわたる前衛的傾向を,大型の紙面で効果的に紹介し,実験と理論の場を提供した。マリネッティの《未来派宣言》,キュビスム,〈青騎士〉派,ダダの一部,シュルレアリスム,後には革命後のソ連や東欧の芸術動向など,20世紀初頭の先端的芸術潮流が吟味され,擁護された。〈言語芸術〉分野におけるA.シュトラムの発見と作品紹介も,文学上の抽象的内面表現を模索するうえでのプログラムであった。出版,朗読会,劇場,展覧会,学校経営など誌外活動も活発で,14年3月には,同誌主催の巡回木版画展が東京でも開かれた。第1次大戦後は判型,規模ともに縮小し,ナチス政権成立前年の32年6月,最終号を出した。
執筆者:瀧田 夏樹
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シュトゥルム
しゅとぅるむ
Der Sturm
ドイツ表現主義運動を芸術理論の面でリードした機関誌。「あらし」の意。1910年3月、「文化と芸術のための週刊誌」として、音楽・美術批評家ヘルバルト・ワルデンによりベルリンで発刊。16年から月刊誌となった。美術・音楽・文学・舞台芸術など広範囲にわたる前衛的傾向を、大型の紙面で効果的に紹介した。国内の流れと並んで、未来主義、立体主義、超現実主義、ダダ、さらには革命後のソビエト、東欧の芸術動向など、時代の最先端の問題を取り上げ、擁護した。「言語芸術」分野でのA・シュトラムの紹介も特筆される。展覧会、朗読会、実験劇場、出版などの活動も盛んで、14年3月には木版画展が東京でも開かれた。ナチス政権成立前年の32年6月の最終号で廃刊。
[瀧田夏樹]
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世界大百科事典(旧版)内のシュトゥルムの言及
【シュトラム】より
…ミュンスターに生まれ,郵便局に勤務したが,のち郵政省の高級官吏。戯曲に手を染め,〈未来派〉などの新しい文学理論に刺激され,実作によって,1914年《[シュトゥルム]》誌のH.ワルデンに認められる。以後1年余にわたり,同誌の言語芸術理論にかなう詩作品と戯曲が逐次掲載され,一期を画す。…
【表現主義】より
…また新生を求めるシェーンベルクの悲劇的パトスは,クリムトの影響を脱したウィーンの若い表現主義の画家,つまりココシュカの幻視的人物像やシーレの死を秘めた自画像などにも暗示的な姿で現れている。しかしこのような美術の諸傾向を文学と結節する広範な表現主義運動へ導いたのは,ベルリンで1910年にワルデンH.Waldenにより創刊された《[シュトゥルム]》誌(その後同名の画廊が創設され,出版社,舞台を併設)と11年にフェムファートF.Pfemfertにより創刊された《アクツィオーンDie Aktion》誌である。芸術革命志向の前者と政治志向の後者とが対立し交流する中で,表現主義芸術運動には帝都ベルリンの状況を反映して世界の終末と戦う黙示録的な主題が顕著になり,それは11年にベルリンへ移住した〈ブリュッケ〉派のうちでもとくにキルヒナーの街娼群像連作や,12年のシュトゥルム画廊開きに招かれた〈ブラウエ・ライター〉派のうちではとくにマルクの《動物の運命》などに端的に示されている。…
※「シュトゥルム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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