マリネッティ(その他表記)Filippo Tommaso Marinetti

デジタル大辞泉 「マリネッティ」の意味・読み・例文・類語

マリネッティ(Emilio Filippo Tommaso Marinetti)

[1876~1944]イタリア詩人。1909年「未来派宣言」を発表未来派運動の指導者的役割を果たした。のち、ファシズム同調。詩「老水夫」、小説未来派人マファルカ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「マリネッティ」の意味・読み・例文・類語

マリネッティ

  1. ( Filippo Tommaso Marinetti フィリッポ=トマッソ━ ) イタリアの詩人、評論家。未来派の指導者。行動的芸術を主張。絵画・文学・演劇などの分野において、その後の二〇世紀芸術運動に影響を与えた。(一八七八‐一九四四

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改訂新版 世界大百科事典 「マリネッティ」の意味・わかりやすい解説

マリネッティ
Filippo Tommaso Marinetti
生没年:1876-1944

イタリアの詩人,小説家,劇作家エジプトアレクサンドリア生れ。パリバカロレアをとり,イタリアの大学で法学を修める。パリの〈サムディ・ポピュレール〉コンクールに入賞,フランス語による詩作を続ける。1905年にミラノで《ポエジーアPoesia》誌を創刊,〈自由詩〉を導入した。09年2月20日,パリの《フィガロ紙上に《未来派宣言》を発表(イタリア語版は翌日ミラノで発表),いっさいの伝統的価値の破壊,新しい文化の創造を提唱した。第一作の小説《未来主義者マファルカ》(1910)は女の性を必要とせずに子どもを生む男の物語である。12年の《未来派文学の手法宣言》では,旧来の修辞学との決別を明示し,〈自由語〉の概念をうち立てた。権力の座についたファシズムとの結託により表現の自律性を欠いたが,近年,ヨーロッパ前衛芸術の先駆者としてのマリネッティの思想と手法に新たな関心が向けられている。戯曲では,初期の風刺的悲劇《祭りの王》(1905)が著名
未来派
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリネッティ」の意味・わかりやすい解説

マリネッティ
まりねってぃ
Filippo Tommaso Marinetti
(1876―1944)

イタリアの詩人。未来派の創始者。エジプトのアレクサンドリアに生まれる。パリでバカロレア(大学入学資格)をとり、イタリアのジェノバ大学法学部卒業。パリの「サムディ・ポピュレール」コンクールに入賞、フランス語で詩作した。1905年ミラノで詩誌『ポエジーア』を創刊、「自由詩」を導入。9年2月20日パリの『フィガロ』紙上に未来派宣言を発表(イタリア語版は翌日ミラノで発表)、伝統的価値の粉砕、スピードの美学を提唱した。小説『未来主義者マファルカ』(1910)は女の性を介さずに子供を生む男の物語である。この男性中心の力学賛美は、必然的にファシズムの美学と同調した。12年『未来派文学技術宣言』で旧来の修辞学と訣別(けつべつ)、「自由語」の概念を打ち立てた。ファシズムとの結託、戦争礼賛は表現の自律性を奪ったが、ヨーロッパ前衛運動の先駆者としての彼の思想および文学に、近年、時代の証言としての新たな関心が向けられている。

[望月紀子]

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百科事典マイペディア 「マリネッティ」の意味・わかりやすい解説

マリネッティ

イタリアの詩人。エジプトのアレクサンドリア生れ。1909年パリの新聞《フィガロ》に未来派宣言を発表,イタリアの新しい芸術運動を未来主義と名づけ,文学と美術における未来派の中心的存在となった。伝統の破壊,機械とスピードの賛美,自由語などを主張したが,現代詩に対する創造的貢献は必ずしも大きいとは言えず,ファシズムへの同調によって革新性を失った。
→関連項目サンテリアルッソロ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マリネッティ」の意味・わかりやすい解説

マリネッティ
Marinetti, Filippo Tommaso

[生]1876.12.22. アレクサンドリア
[没]1944.12.2. ベッラージョ
イタリアの詩人。未来主義の創始者。 1909年2月 20日,パリの『フィガロ』紙に「未来派宣言」を発表,機械とスピードの美を唱え,伝統の破壊を主張,戦争を「唯一の清掃機関」と呼んだ。従来の修辞法を一切廃した詩をイタリア語とフランス語で書いた。ファシズムに同調して,両世界大戦に参加。主著『未来派人マファルカ』 Mafarka le Futuriste (1910) ,『ザング=トゥム=トゥン』 Zang-tumb-tuum (14) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マリネッティ」の解説

マリネッティ
Filippo Tommaso Marinetti

1876~1944

イタリアの詩人,作家。エジプトのアレクサンドリアに生まれ,フランス語で教育を受ける。1909年,パリで「未来派宣言」を発表し,力,速度,機械などの近代的な要素を芸術で表現することを主張。ファシズムの運動にその主張の実現可能性を見出した。

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世界大百科事典(旧版)内のマリネッティの言及

【イタリア演劇】より

…壮麗な文体で書かれた《ヨーリオの娘》《船》《フェードラ》などは当時,演劇的関心を集めたが,現在は上演の可能性はほとんど失われている。 20世紀に入ると,イタリアの演劇界はF.T.マリネッティたちの始めた未来主義運動によって衝撃を与えられる。〈未来派futurismo〉は演劇の革命をうたい,因襲的なドラマトゥルギーとは無縁な数々の短い劇作品を世に送り出した。…

【イタリア美術】より

…総じて,イタリアの現代美術の特色は,芸術がイデオロギーと密接に結びついているという点にあり,労働者側に立つ芸術家はリアリズムを,工業化と近代化に共感する者は抽象主義を,国家主義と体制に従う者はアカデミズムを,それぞれ主張した。 新しい工業化社会に賛同し,旧来の社会に反逆する最も過激なマニフェストは,1909年,文学者F.マリネッティによって出された〈未来派宣言〉と,これに続く未来派の運動である。U.ボッチョーニは空間芸術の中に時間を導入しようとし,バラGiacomo Balla(1874‐1958)は光と色によるダイナミズムを表現した。…

【映画】より

…1908年から映画について書き始めたイタリア人R.カニュード(1879‐1923)は,パリで新しい芸術運動の推進者の一人となり,みずから映画批評家を名のって(実際,世界最初の映画批評家,映画理論家となり,その論集《イメージの工場》が没後1927年に刊行される),時間の芸術(音楽,詩,舞踊)と空間の芸術(建築,彫刻,絵画)をつなぐ新しい芸術,すなわち〈第七芸術〉と映画を定義した。また,16年にはイタリアの文学者F.マリネッティらが,あらゆる近代的な芸術の探究が目ざす“多様表現性”をもつ表現手段としてのシネマトグラフを解放する新しい芸術として〈未来派映画〉の宣言をする。そして20年代にかけて,フランスを中心に新しい芸術的表現を作品化しようとする〈アバンギャルド映画〉の運動が起こっていくことになる(アバンギャルド)。…

【サンテリア】より

…ミラノで学び,仕事をはじめて間もなく,高層ビルや立体交通などを大胆に取り入れた未来都市のスケッチを〈新都市〉と名付けて発表(1914),反響をまきおこす。彼の書いた展覧会カタログの序文を読んだ未来派の創始者マリネッティは,これに手を加え《未来派建築宣言》として発表(1914)。機械文明にふさわしい都市と建築をイメージで先取りした彼も,作品を実現する前に第1次大戦に応召,戦傷を受けて没した。…

【未来派】より

…1910年代から20年代にかけて,イタリアの政治,社会の変革に対応して生まれた前衛的な芸術運動。この運動はF.マリネッティの《未来派宣言》(1909)に端を発する。次いでボッチョーニセベリーニ,バラGiacomo Balla(1871‐1958)たちが1910年に《未来派画家宣言》をミラノで発表,マリネッティを指導者として,従来の芸術文化のあらゆる旧弊を破って,新しい未来社会の機械と速度のダイナミズムを礼賛した。…

※「マリネッティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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