改訂新版 世界大百科事典 「シンガサリ」の意味・わかりやすい解説
シンガサリ
Singasari
インドネシア,東部ジャワのシンガサリを中心として,1222年から92年まで栄えた王国。建国者ケン・アンロック(アンロ)は卑しい身分の出であったが,胆力と策略にたけ,トゥマーペル地方の領主トゥングル・アメトゥンの妻デデスと通じて1220年に領主を暗殺し,代わって領主となった。そして2年後にはクディリ朝最後の王クルタジャヤをガンテルの戦で敗死させてシンガサリ朝を開き,ラージャサ王と改名した。しかし,わずか5年後にデデスと先夫トゥングル・アメトゥンとの間に生まれた男児が復讐のため彼を暗殺し,第2代アヌーサパティ王として即位した。伝説によれば,この王も異母兄弟(アンロックの側室の子)に48年に刺殺される。暗殺者は即位して第3代トージャヤ王となるが,わずか数ヵ月後に2人の甥に暗殺され,両系統の王族の間では流血が絶えなかった。
この王朝の第5代かつ最後の王クルタナガラは,当時東アジアに急速に勢力を拡大しつつあったモンゴル族の元朝の動向を懸念し,パマラユ(マラユ遠征)と呼ばれる外交戦略を展開した。1275年ごろから始まるこの政策は従来は軍事行動と解されていたが,オランダ人ベルフの説により,現在ではシンガサリ王家が代々信奉するカーラチャクラ派の密教に基づく平和的同盟であったと考えられるようになった。こうして王はジャワ全土,マドゥラ,バリ,ボルネオ南部,スマトラ,マレー半島の一部などにまで勢力を及ぼし,対元朝外交に自信を得て,89年に元の世祖フビライが使を遣わして服属をすすめた時,使者を侮辱して追い返した。フビライは1000隻の水軍を派遣して討伐しようとしたが,そのジャワ到着に先立ち,クルタナガラ王の内政は破綻し,クディリ朝の子孫と自称するジャヤカトワンが王や重臣を暗殺したので,シンガサリ朝は滅亡した。この王国の70年間にインドネシア海域の貿易は一段と発展し,また仏教の再興とともにジャワ文化独自の性格が顕著となった。
執筆者:永積 昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報