改訂新版 世界大百科事典
「ジャックダルクローズ」の意味・わかりやすい解説
ジャック・ダルクローズ
Émile Jacques-Dalcroze
生没年:1865-1950
ウィーン生れのスイスの音楽教育者,作曲家。1892年ジュネーブ音楽学校で和声理論の教授に迎えられた。その後音楽教育の欠陥を補うため,音と身体のリズムの一体化をねらうリトミックを案出し,教育の中に導入した。1911年,ドレスデン郊外ヘレラウにリトミック学校を創立したが,14年第1次世界大戦勃発で閉鎖,翌15年ジュネーブに学校を再開した。リトミックは音楽のみならず舞踊にも多大な影響を与えた。ヘレラウで学んだウィグマンは〈ノイエ・タンツ〉の創始者になり,ニジンスキーも創作の上で示唆を受けた。日本への影響は大きく,ヘレラウで学んだ伊藤道郎をはじめ,草創期の洋舞家の多くがリトミックを取り入れた。学校教育の面では小林宗作が成城学園,トモエ学園で実践し,現在立川学園(岡田純子)や国立音楽大学(板野平)などがこれを推進している。
執筆者:桜井 勤
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「ジャックダルクローズ」の意味・わかりやすい解説
ジャック・ダルクローズ
スイスの音楽教育者,作曲家。ウィーン生れ。運動感覚とリズムを結びつけた独自の理論〈リトミック〉を考案。1911年ドレスデン郊外のヘレラウに学校を創立。1914年第1次世界大戦のために閉鎖されたが,翌1915年ジュネーブで再開した。〈リトミック〉は音楽教育界のみならず,舞踊界に与えた影響も大きく,ノイエタンツ(モダン・ダンス)の代表格ウィグマンもヘレラウで学んでいる。→Ernestブロッホ/F.マルタン
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世界大百科事典(旧版)内のジャックダルクローズの言及
【モダン・ダンス】より
…古典的なバレエ技法(ダンス・クラシック)に反発し,まったく新しい考え方に基づいて生まれたダンスの一様式。[I.ダンカン]を祖とし,1920年代のドイツで確立され,その後アメリカで発達をみた。〈モダン・ダンス〉という言葉は33年にアメリカの評論家マーティンJohn Martinが,ダンカンのフリー・ダンスfree dance(ニュー・ダンスともいう),ドイツの[M.ウィグマン]らのノイエ・タンツNeue‐Tanz(のちにモデルネ・タンツといわれた)やアメリカの[M.グラーム]らのダンスを総称し定義づけたことに由来がある。…
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