ウィグマン(読み)うぃぐまん(英語表記)Mary Wigman

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィグマン」の意味・わかりやすい解説

ウィグマン
うぃぐまん
Mary Wigman
(1886―1973)

ドイツの女流舞踊家。ハノーバーに生まれる。ダルクローズラバンに学んだのち、1914年にデビュー、リサイタルを催し「ドイツ・モデルネ・タンツ」の歴史の出発点をつくった。作風は当時のドイツの芸術主潮、表現主義に深く影響され、死や苦悩といった主題を扱った作品が多い。のちに表現主義絵画がナチスによって退廃芸術烙印(らくいん)を押されたように、彼女も1937年にドレスデンの学校を接収され、さらに舞踊活動の機会を奪われたが、戦後復帰した。なお、ウィグマン学校はニューヨークにも分校をもち、アメリカ・モダン・ダンスの発展に貢献した。日本の舞踊家、江口隆哉(たかや)、宮操子(みさこ)(1907―2009)、邦正美(くにまさみ)(1908―2007)執行(しぎょう)正俊(1908―1989)もウィグマンの学校の出身である。

市川 雅]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィグマン」の意味・わかりやすい解説

ウィグマン
Wigman, Mary

[生]1886.11.13. ハノーバー
[没]1973.9.18. ベルリン
ドイツの舞踊家。 J.ダルクローズ,R.ラバンに学ぶ。 1914年処女作『魔女の踊り』を踊って注目され,ノイエ・タンツ (新舞踊) の旗手として活躍した。 20年ドレスデンにウィグマン舞踊学校を設立。 G.パルッカ,Y.ゲオルギ,H.クロイツベルクらの舞踊家を育て,最盛期には各地の分校を合せて 2000人の生徒を集めた。 36年のベルリン・オリンピックでは群舞を演出するが,ナチスの台頭により活動中断を余儀なくされた。第2次世界大戦後はライプチヒ,のちにベルリンで活躍。代表的な振付作品には『幻想』『東洋風モチーフによるダンス』『死の舞踏』『女の踊り』『犠牲』『死の嘆き』『春の祭典』などがある。仮面を使用したり,群舞を生かしたりする表現主義的な色彩が強く,無音楽あるいは打楽器のみの伴奏で踊られる作品が多い。日本のモダン・ダンスにも強い影響を与えた。著書に『舞踊の言葉』 Die Sprache des Tanzes (1963) などがある。

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