日本大百科全書(ニッポニカ) 「テペ・ヒッサール」の意味・わかりやすい解説
テペ・ヒッサール
てぺひっさーる
Tepe Hissar
イラン北部、テヘランの東北東約280キロメートルにある遺跡。アルボルズ(エルブルズ)山脈の南をマシュハドへ走るかつてのシルク・ロード上の町ダームガーンの南東約5キロメートルに位置する。下層は日干しれんがを使用した建築が多く、土器には手製の赤色土器に黒の幾何学文のあるものが最下層に、その上には淡黄色のろくろ製土器や銅剣、銅斧(どうふ)、スタンプ印章も出土する。これがI期で、シアルクⅢ期に並行している。Ⅱ期は日干しれんがの使用が多くなり、彩文土器や灰色無文土器が出土してくる。初期王朝期に比定される。Ⅲ期の建築にはプラスターをはり付けたものもあり、彩文土器は少なくなり、灰色・黒色の磨研土器が多くなる。金属器が発達し、銅・金・銀製の槍(やり)・斧(おの)・短剣が出土し、青銅器もつくられる。ウル第三王朝(前三千年紀末ごろ)にあたるものと推定される。1930年、アメリカのE・F・シュミットによって発掘調査された。
[糸賀昌昭]