シアルク(英語表記)Tepe Sialk

改訂新版 世界大百科事典 「シアルク」の意味・わかりやすい解説

シアルク
Tepe Sialk

イラン高原の西端,カーシャーンの南西4km,標高約1000mの高所にある遺跡テペ・シアルクともいう,東西交渉の要所にある。600m離れた南北2基の丘を主体とし,南丘の南にA墓地,西にB墓地を伴っている。1933-34,37-38年にフランスのR.ギルシュマンが発掘して,イラン高原における先史時代の研究に初めて重要な層位学的根拠を与えた。6期に大別され,Ⅰ・Ⅱ期の北丘は大きさ320m×110m,文化層の厚さは約13mで,Ⅰ期は5層,Ⅱ期は3層からなる。最下層ではヨシと小枝づくりの小屋であったが,Ⅰ2期からピゼや泥煉瓦の壁で住居がつくられ,Ⅱ期には日乾煉瓦をモルタルを使って積んだ建物に発達した。黄色・赤色土器とともに彩文土器もⅠ期から用いられている。Ⅰ期の初めは新石器時代であるが,Ⅰ3期には錐などの鍛造銅製品がみられ,Ⅲ期から青銅器時代にはいる。Ⅰ期はメソポタミアウバイドウバイド文化)2期に,Ⅱ期はウバイド3期にほぼ並行する。北丘のⅡ期に引き続いてⅢ期から始まる南丘は,260m×190mで高さ14mあり,Ⅲ期は7層あって,ウバイド4期からウルク期ウルク文化)に並行する。略奪を示す痕跡ののちに,円筒印章原エラム文字をもつタブレットを出土したⅣ期(ジャムダット・ナスル期に並行する)のあと,約2000年の空白をへて,前2千年紀末に民族移動一環とみられる新居住者が到来した。彼らは南丘のⅤ期の層と灰黒色土器を特徴とするA墓地を残したが,Ⅵ期層とB墓地が示す文化はイラン人が侵入し,この地域を占拠したことを示している。彼らは前10~前9世紀に南丘の南端に約2500m2の,支配者の宮殿の跡と推測される基壇を建設した。
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百科事典マイペディア 「シアルク」の意味・わかりやすい解説

シアルク

イラン高原中央部,テヘランの南にある新石器時代から金属器使用時代に至る遺跡。テペ・シアルクTepe Sialkとも。南北2丘からなる。層位的に4期に分けられ,第1・2期は北丘,第3・4期は南丘にみられる。第1期は石器,第2期は彩文土器(彩陶)が多く,第3期に銅の鋳造ろくろによる土器の製造が始まり,文化が飛躍的に発達。第4期はペルシア湾頭に近いエラムの文化の影響が濃く,またインダス文明エジプト文明の影響もみえる。

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