ディア芸術財団(読み)でぃあげいじゅつざいだん(英語表記)Dia Art Foundation

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディア芸術財団」の意味・わかりやすい解説

ディア芸術財団
でぃあげいじゅつざいだん
Dia Art Foundation

アメリカのニューヨーク州をおもな拠点とする芸術財団。1974年、石油会社の財産を相続したフィリッパ・デ・メニルPhilippa de Menil(1947― )とその夫ハイナー・フリードリヒHeiner Friedrich(1938― )によって設立された。「ディア」とは、ギリシア語の「を通して」という意味である。設立当初から1984年まではデ・メニル家が運営していたが、その後、理事や経営陣が交替して創始者とは直接関係のない組織が運営を行う。

 ほかの美術館では扱いにくかったアースワーク作品などへの助成や資料の収集を積極的に行ってきたことが同財団の特徴である。たとえば1979年、テキサス州マルファのラッセル基地跡地内の約1.4平方キロメートルもの砂漠をドナルド・ジャッドと共同購入し、1940年代に放棄された建物を展示施設へと改修した。この施設は1986年以降は、ジャッドが設立したチナティ財団が運営している。また、ディア芸術財団はニュー・メキシコ州チマド近郊にある、ウォルター・デ・マリアWalter De Maria(1935―2013)のアースワーク作品『閃光の場』(1977)の助成・管理や、アリゾナ州フラッグスタッフ北東でのジェームズ・タレルの『ローデン・クレーター』プロジェクト(1979~ )への助成を行う。そのほかにも、ニューヨーク市ソーホー地区に、デ・マリアのインスタレーション作品『アース・ルーム』(1977)と『ブロークン・キロメートル』(1979)を、ニューヨーク州サフォーク郡ブリッジハンプトンにダンフレービンの作品(1983)を常設で展示するスペースをもつ。

 1987年、ニューヨーク市マンハッタン区のチェルシー地区にあるかつて工場だった4階建ての建物を建築家リチャード・グラックマンRichard Gluckman(1947― )が改装し、財団の本部ならびに展示空間「ディア・チェルシー」とした。1987年から2004年の閉館まで、9か月程度の長い会期で、空間にあわせたインスタレーションを展示した。その後紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、2021年現在、「ディア・チェルシー」はかつて本部のあった建物の向かいの三つの建物で、展覧会やパフォーマンスなどのプログラムを行っている。

 2003年5月にはコレクションを展示するため、ニューヨーク州ビーコン市のハドソン川沿いに、1929年に建てられた巨大な印刷工場を改修して、別館「ディア・ビーコン」を開館した。

 財団のコレクションには、ヨーゼフ・ボイス、イミ・クネーベルImi Knoebel(1940― )、サイ・トゥオンブリCy Twombly(1928―2011)、リチャード・セラ、ブリンキー・パレルモBlinky Palermo(1943―1977)など1960年代以降の重要な作家の作品が含まれ、1999年、アースワークの代表的作品ともいえるロバート・スミッソンの『螺旋(らせん)形の突堤』(1970)が寄贈され、ディア芸術財団の所有となった。

 そのほか、1995年以降アーティストがウェブ上に作品を制作するウェブ・プロジェクトも行っている。

[鷲田めるろ 2021年12月14日]

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