出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ドイツの美術家。ドイツ西部クレーウェKleve生れ。デュッセルドルフの美術アカデミーに学び,1961-72年同校で教鞭をとる。ドイツ学生党(1967)を組織し,〈自由国際大学〉や〈直接民主主義のための委員会〉にも参加。晩年は〈緑の党〉の活動にも加わっていた。毛布,フェルト,脂肪,鉄,木などを用いた彫刻を制作するとともに,ハプニングでも知られ(1963年に〈フルクサス〉グループに参加),64年《マルセル・デュシャンの沈黙は過大評価されている》を発表。ボイスは,生前のデュシャンが沈黙によって芸術を無化すると同時に絶対化したと考え,それに対して芸術をもういちど人間の活動一般という新たなコンテキストのなかでとらえなおそうとしており,彼の社会的活動もその一環と考えられる(その意味で,彼は人間を〈社会的彫刻〉とみなした)。カリスマ的魅惑をもつ彼はドイツの現代美術に絶大な影響力を有し,中堅以上の作家は多かれ少なかれその影響下にある。しかし,近年では若手作家の間に,〈ボイス神話〉を相対化するようなボイス批判も強く起こりつつある。84年,展覧会を機に初来日し,講演,パフォーマンスを行った。
執筆者:千葉 成夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… 1960年代の日本のパフォーマンス活動が与えた影響には計り知れないものがあり,その遺産を演劇や映画に活用した芸術家の一人として寺山修司がいる。70年代の日本のパフォーマンス活動そのものは,田中泯(みん)らの〈舞踏〉を除くと,全体として活気に乏しかったが,84年にナムジュン・パイクNam Jun Paik(1932‐ )とヨゼフ・ボイス(いずれも〈フルクサス〉のメンバー),より若い世代のローリー・アンダーソンLaurie Anderson(1947‐ )が来日し,〈パフォーマンス・ブーム〉が再燃しはじめ,ビデオやコンピューターの電子テクノロジーを駆使した新しいパフォーマンスも試みられるようになった。電子テクノロジーによって身体環境が攻囲され,身体的な一回性や偶然性が〈プログラム〉化されかねない状況のなかで,80年代のパフォーマンスが電子テクノロジーを用いながらそうした一回性を再活性化できるかどうかは,まさに今後の課題である。…
※「ボイス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
世界各地で古くから行われている遊戯の一つ。日本では,小豆,米,じゅず玉などを小袋に詰め,5~7個の袋を組として,これらを連続して空中に投げ上げ,落さないように両手または片手で取りさばき,投げ玉の数や継...
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