トフストノーゴフ(その他表記)Georgii Aleksandrovich Tovstonogov

改訂新版 世界大百科事典 「トフストノーゴフ」の意味・わかりやすい解説

トフストノーゴフ
Georgii Aleksandrovich Tovstonogov
生没年:1913-89

ソ連邦演出家グルジア人を母にトビリシに生まれる。1938年モスクワの国立演劇大学演出科を卒業。46年までトビリシのグリボエードフ劇場で演出にたずさわり,その後モスクワに移り,中央児童劇場や移動劇団で演出をして頭角をあらわす。49年レニングラードのレーニン・コムソモール劇場主任演出家に任命され,56年レニングラードのボリショイ・ドラマ劇場の主任演出家になり,これを世界一級の劇団に育てあげた。83年秋,劇団を率いて来日した。スタニスラフスキー遺産を継承しながら,戯曲の内包するものを深く読みとり,現代性を強調する大胆な実験的演出で注目され,1958年演出家としてはじめてレーニン賞を受賞した。おもな演出作品にドストエフスキーの《白痴》,シェークスピアの《ヘンリー4世》,ゴーリキーの《小市民》,V.V.ビシネフスキーの《楽天的悲劇》,チェーホフの《ワーニャ伯父さん》,ゴーゴリの《検察官》,L.N.トルストイの《ある馬の物語》,シュクシーンの《エネルギッシュな人々》などがある。著書として《演出家の仕事》がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トフストノーゴフ」の意味・わかりやすい解説

トフストノーゴフ
とふすとのーごふ
Георгий Александрович Товстоногов/Georgiy Aleksandrovich Tovstonogov
(1913―1989)

ソ連の演出家。母親がジョージア(グルジア)人で、ジョージアのトビリシに生まれる。1931年からロシア青少年劇場の俳優兼演出助手になり、1938年モスクワの国立演劇大学を卒業。各地の中小劇団で働くうちに演出家として頭角を現し、1956年にレニングラードのボリショイ・ドラマ劇場(略称БДТ/BDT)主任演出家となる。ビシネフスキーの『楽天的悲劇』の演出(1955)で、1958年演出家として初めてレーニン賞を受賞。スタニスラフスキーの遺産を継承しながら、現代性を強調する大胆で多彩な演出で注目され、多くの優れた俳優を育てた。1983年(昭和58)と1988年に劇団を率いて来日した。

中本信幸

『トフストノーゴフ著、牧原純・中本信幸訳『演出家の仕事』全2巻(1983・理論社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トフストノーゴフ」の意味・わかりやすい解説

トフストノーゴフ
Tovstonogov, Georgii Aleksandrovich

[生]1915.9.15.
[没]1989.5.23. レニングラード
ソ連の演出家。 1938年ルナチャルスキー演劇学校の演出科卒業。トビリシ,モスクワなどの劇場で働いたのち,56年レニングラードのゴーリキー・ボリショイ・ドラマ劇場の首席演出家。大胆な空間処理で知られ,おもな演出作品は『楽天的悲劇』 (1955) ,『白痴』 (57) ,『イルクーツク物語』 (60) ,『三人姉妹』 (65) ,『ウエスト・サイド物語』 (67) など。主著『演出家の仕事』O professii pezhissëra (65) 。 83,88年来日。のちに同劇場は彼を記念してトフストノーゴフ・ボリショイ・ドラマ劇場と改称された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトフストノーゴフの言及

【サンクト・ペテルブルグ・ボリショイ・ドラマ劇場】より

…やがて《エゴール・ブルイチョフとその他の人びと》(1932),《ドスチガーエフとその他の人びと》(1933),《別荘の人びと》(1939),《敵》(1948)などゴーリキーの一連の作品を上演して,独自の〈顔〉をつくったが,ほかにはコージンツェフGrigorii Mikhailovich Kozintsev(1905‐73)演出の《リア王》(1941)などを除けば話題作にはとぼしかった。56年にトフストノーゴフが主任演出家に就任して以来,生まれ変わり,ソ連有数の劇団になった。70年5月に前衛的な実験用の〈小舞台〉が作られ,古今東西の多様な演目と強力な俳優陣を誇っている。…

【ロシア・ソビエト演劇】より

…そして,スターリンの死の年の53年12月にモスクワ風刺劇場Moskovskii teatr satiryは長いこと葬られていたマヤコフスキーの戯曲《風呂屋》を,次いで55年《南京虫》,57年《ミステリヤ・ブッフ》を上演した。レニングラードでは55年にトフストノーゴフがビシネフスキー作《楽天的悲劇》の演出で演劇界に新風を吹き込んだ。57年にはモスクワにO.N.エフレーモフの率いる現代人劇場Teatr‐studiya“Sovremennik”が創設された。…

※「トフストノーゴフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android