トリエステの地位(読み)トリエステのちい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トリエステの地位」の意味・わかりやすい解説

トリエステの地位
トリエステのちい

第2次世界大戦後,トリエステ地方の帰属をめぐるユーゴスラビアイタリアとの紛争。トリエステ地方は第1次世界大戦まで,オーストリア=ハンガリー帝国の主要な海港として繁栄した。しかし,市民のほぼ3分の2はイタリア系であることから,1915年ロンドンにおいてイギリス,フランス,ロシア間で秘密条約が結ばれイタリアのものとされ,18年 11月イタリア軍が占拠した。次いで,19年のサン=ジェルマン条約により,正式にイタリアの領有となった。ところが第2次世界大戦中,イギリス=アメリカ軍とユーゴ軍が占領し,大戦後ユーゴは,郡部の人口がスラブ系であることから領有を主張,イタリアとの間でその帰属をめぐって争いとなった。その結果,47年パリの対イタリア平和条約は,北部のトリエステ市とその近郊農村を含む1区画を独立させ,これをいずれにも属さない自由地域とすることを定めた。ところがこれでは解決せず,北半分をイギリス=アメリカ軍,南半分をユーゴ軍が占領する状態が続いた。しかし 54年 10月イギリス,アメリカ,イタリア,ユーゴ間にロンドン協定が成立し,その結果,トリエステ港は自由港とし,自由地域を分割して,トリエステ市を含む北部の大部分をイタリアが,残りの部分をユーゴが,それぞれ領有することになった。両国は,この事態を 75年に承認して,紛争は結着した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android