日本大百科全書(ニッポニカ) 「トーキング・ヘッズ」の意味・わかりやすい解説
トーキング・ヘッズ
とーきんぐへっず
Talking Heads
アメリカのロック・グループ。ニューヨークのパンク・シーン末期にあって、パンク精神を継承しつつその後のポップ・ミュージックの形を提示した代表的ユニット。アフリカン・ファンクの取り込みや民族音楽への傾倒など、ロックの領域を超え、それを拡張する「知的」グループとして、いわゆるパンク・バンドとは一線を画した。ちなみに「トーキング・ヘッズ」とは、有事に備えCGで世界中の政治的リーダーの顔と会話をシミュレートしようとするマサチューセッツ工科大学の研究プロジェクトからとられた。
初期メンバーは在米イギリス人、デビッド・バーンDavid Byrne(1952― 、ボーカル、ギター)を中心に、バーンが中退したロード・アイランド州立デザイン学校(RISD)の同級生であったクリス・フランツChris Frantz(1951― 、ドラム)とティナ・ウェイマスTina Weymouth(1950― 、ベース)の3人であった。1975年、3人はニューヨークに移り、ライブ・ハウスCBCGでラモーンズの前座としてデビューする。翌1976年にサイア・レーベルと契約、1977年にはハーバード大学出身のジェリー・ハリソンJerry Harrison(1949― 、キーボード、ギター)がメンバーに加わり、デビュー・アルバム『サイコ・キラー'77』をリリースした。2枚目のアルバム『モア・ソングス』(1978)以降、ブライアン・イーノをエンジニアに迎えた一連の作品で評価を確立する。なかでも4枚目のアルバム『リメイン・イン・ライト』(1980)はアフリカ圏やアラブ圏のリズムを積極的に取り込み、相対的に動きの単純化されたメロディ・コード構造でポップ・ミュージックの常識を覆した。
3枚目のアルバム『フィア・オブ・ミュージック』(1979)にはキング・クリムゾンのギタリスト、ロバート・フリップRobert Fripp(1946― )が参加しているが、『リメイン・イン・ライト』ではキーボード・プレーヤーのバーニー・ウォーレルBernie Worrell(1944―2016)ややはりキング・クリムゾンのギタリスト、エイドリアン・ブリューAdrian Belew(1949― )などが参加している。また、ユニット活動中から各メンバーのソロ活動も盛んで、バーンは1979年にイーノとともに『マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ』を制作(リリースは1981)し、フランツとウェイマスは1981年にトム・トム・クラブを結成している。1983年に3年ぶりにトーキング・ヘッズ名義でリリースされた『スピーキング・イン・タングズ』のコンサート・ツアーを記録した、ジョナサン・デミJonathan Demme(1944―2017)監督の劇場映画『ストップ・メイキング・センス』(1994)は、最初にラジオ・カセットを持って1人で登場するバーンにメンバーとゲストが少しずつ加わってゆくという構成で、トーキング・ヘッズというユニットの拡散の様子を観念的に表現しているかのようだ。また、その映像手法はビデオ・クリップ表現の一つの頂点となった。
その後、『リトル・クリーチャーズ』(1985)でトーキング・ヘッズは4人編成に戻り、カントリー・ミュージックなどを引用した、よりポップでアメリカ回帰的な世界を構築する。この路線は『トゥルー・ストーリーズ』(1986。バーンが監督した同名映画のサウンド・トラックを、トーキング・ヘッズが再アレンジしたもの)にも引き継がれた。しかし、次作『ネイキッド』(1988)では再び外に目を向け、当時ワールド・ミュージックの中心地となっていたパリに各国の音楽家を迎えて録音された。トーキング・ヘッズはこのアルバムを最後に事実上活動を停止し、1991年には正式に解散を発表する。この後、バーンは『ネイキッド』の路線を受け継いだ活動を続けてゆくが、バーンを除いた3人はザ・ヘッズとして『ノー・トーキング、ジャスト・ヘッド』(1996)をリリースした(トーキング・ヘッズは1992年にビム・ベンダース監督の『夢の涯(は)てまでも』のサウンド・トラック録音と2002年のロックの殿堂授賞式のために一時再結成した)。
トーキング・ヘッズは、パンクの興隆とマドンナやマイケル・ジャクソンといったグローバル・メガスターの出現のちょうど間に位置を占めた過渡期的なグループであり、彼らの引用感覚、映像メディアの積極的な取り込み、ユニットの拡散性、ジャンルの横断性などから影響を受けたグループは多い。彼らの音楽そしてニューヨークのヒップな白人アート・シーンを指してポスト・モダンと称するような風潮もあるが、彼らが取り入れた外部的要素であるワールド・ミュージックやヒップ・ホップがその後、ジャンル間の横断性よりも閉鎖性に傾倒していったという事実に照らしてみた場合、彼らの実践の意義をもう一度考え直す必要がある。
[安田昌弘]
『E・タム著、小山景子訳『ブライアン・イーノ』(1994・水声社)』▽『David BowmanThis Must be the Place(2002, Harpercollins, London)』