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トーキー映画 トーキーえいがtalkie

翻訳|talkie

世界大百科事典 第2版の解説

トーキーえいが【トーキー映画 talkie】

音や声の出る〈発声映画〉の試みは,〈カラー映画〉と同じように映画の初期からなされていた。もっとも原始的なシステムは,劇場のスクリーンの背後に俳優や音響係りを配置して,せりふや音をスクリーンにシンクロナイズ(同調)させるもので,1895年に行われたリュミエールの映画会にも,D.W.グリフィス監督の《国民の創生》(1915)の特別公開にもこのシステムが使われたことがあるという。その後,エジソンの〈キネトフォン〉,あるいは〈キネトフォノグラフ〉をはじめ,いろいろなシステムが発明,改良されて,音響と音楽だけのサウンド版《ドン・フアン》(1926),歌唱場面だけを同時録音した〈パート(部分)トーキー〉の《ジャズ・シンガー》(1927)がつくられ,次いで全編に音声が伴う《紐育の灯》(1928)が最初の〈100%オール・トーキー〉として登場する。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のトーキー映画の言及

【チャップリン】より

…19年にメリー・ピックフォード,ダグラス・フェアバンクス,D.W.グリフィスと共同で設立したユナイテッド・アーチスツ社でつくった《巴里の女性》(1923),《黄金狂時代》(1925),《サーカス》(1928)をへて,《街の灯》(1931)に至って,冒頭に〈コメディ・ロマンス・イン・パントマイム〉というタイトルがかかげられ,ユーモアとペーソス,笑いと涙のチャップリン映画が完成する。 すでにそのころアメリカではトーキー映画時代を迎えていたが,チャップリンは最後までトーキーに反対し,映画は〈純粋に視覚的な新しい芸術形式〉であると信じ,〈映画は沈黙の芸術である〉,トーキーは〈世界最古の芸術であるパントマイムを亡ぼそうとしている〉とも語っている。 チャップリンの喜劇は,感傷的な人道主義にとどまっているとはいえ,資本主義に対する小市民の反抗の表現であるという評価もあるように,《街の灯》から5年後,自分で作曲した音楽を入れたサウンド版の《モダン・タイムス》(1936)では,〈現代資本主義と近代的テクノロジーのもとでの人間疎外〉を告発し,のちに〈赤〉の嫌疑でアメリカから実質的に追放される最初のきっかけとなった。…

【日本映画】より


[東宝の設立とトーキーの歩み]
 1930年代には,やがて日活,松竹と並ぶ大会社になる東宝が生まれた。東宝成立は日本のトーキー映画の歩みとともにある。31年,東京砧(きぬた)に設立された写真化学研究所Photo Chemical Laboratory(略称PCL)は,国産トーキー社という別会社をつくってトーキー・スタジオを建設,32年,株式会社となって,同じ砧に新スタジオを建て,トーキー施設提供を始め,33年には別会社のPCL映画製作所で映画製作にもとりかかった。…

【俳優】より

…いわゆるスター・システムの盛況である(詳しくは〈スター〉の項を参照)。そしてこの映画俳優のありようは1930年前後に,サイレント映画がトーキー映画に変わるにつれて,そこに要求される資質は内容を変え,たとえば従来の容姿端麗なスターでも声の悪いスターは退陣を余儀なくされた。こうした形勢の変化は,第2次大戦後のモノクロからカラーへの変化,またテレビの進出などによっても起こっている。…

※「トーキー映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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