バアル
Baal
前3千年紀から前1千年紀のシリア・パレスティナでのもっとも活動的な男神で,別名ハダドHadad。その名は〈主〉を意味する。バアルは大地をうるおす冬の雨もしくは嵐の神であり,出土する神像は右手に矛を振り上げ,左手に稲妻の光の穂を握る若き戦士の姿である。ウガリト神話では戦士としてのバアルの活躍が目覚しく,混沌の象徴ヤムの脅しに屈しようとする老いて力の衰えた最高神エールを尻目に,ひとり立ち向かってこれを征服する。バアルはまたタンムズ(ドゥムジ)やアドニスと同じく,雨季によみがえる植物生命の人格化であり,神話では乾季には死んで陰府の象徴モトに降り,姉妹かつ配偶神アナトAnatに助け出される。バアルと配偶神アスタルテそのほかの女神との性的交渉が豊穣を保証するという観念は,農民にはもっとも親しまれ,神々の聖婚はカナン人男女によって聖所で模倣された。この宗教感覚は農耕生活に入ったイスラエル農民にも浸透して,契約団体の精神をむしばんだので,ヤハウェ主義知識人はこれを激しく批判した。
執筆者:並木 浩一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のバアルの言及
【アダド】より
…この神名はすでにファラ時代(前3千年紀中葉)の神名表に現れることから,同神はかなり古くから南部メソポタミアでも知られていたと思われるが,とりわけその祭儀はアッカド時代(前2334‐前2154ころ)以後の北部メソポタミアに広く見られた。シリア,パレスティナでは[バアル]と同一視されることもあった。《ギルガメシュ叙事詩》の第11書板に記されている洪水伝説では,アダドがシュラトおよびハニシュの1対の従神を従えた雨嵐の神として登場する。…
【ウシ(牛)】より
… 豊饒の女神,例えばフェニキアのアスタルテ,バビロニアのイシュタル,古代エジプトのイシス,ギリシアのイオはすべて月の女神とみなされ,かつ雌牛と密接なかかわりをもっている。農耕にまつわる祭儀や神話と牛とのかかわりは,前2千年紀後半,東地中海のカナンの地に栄えたウガリト王国の神話に登場するバアルとアナトの物語の中にみごとに示されている。 父神エールは雄牛である。…
【カナン】より
…シナイやネゲブの荒野から侵入定着したイスラエルの民にとって,カナンは確かに〈乳と蜜の流れる地〉であったが,その豊かな土地の伝統的な宗教や文化は多くのイスラエル人の心をとりこにした。農耕文化を主とするカナンの豊穣神バアルおよびその祭儀は,荒野と牧畜生活を背景として生まれ,ヤハウェのみを神と認めるイスラエル宗教にとって脅威となった。そしてこのカナンの宗教および文化との混淆(こんこう)を激しく非難したのが,エリヤをはじめとする各時代のイスラエルの預言者である。…
【シリア】より
…第3はフェニキア美術であり,第4はフェニキア人による遠洋航海術の達成である。 シリアの古代宗教は,基本的には農耕やオアシスをめぐる豊穣崇拝であり,各都市はそれぞれ独自の[バアル]Baal(男神)とバアラトBaalath(女神)をもっていたが,時とともにギリシア,ローマ,バビロニア,アラビアなどの神々との習合が起こった。また,フルリ人の主神ハダド([アダド])は内陸部シリアでとくに広く崇拝されたが,バアルと習合していた。…
【シリア・カナン神話】より
…主として第I層および第II層から,神殿遺構を中心に,ブロンズ製の神像をはじめ数々の青銅器が発掘された。とりわけ,ラス・シャムラの名を不朽にしたのは,バアル神殿書庫の一隅から発見されたおびただしい量にのぼる楔形文字で刻文された粘土板であった。粘土板は,たちまち世界の言語学者の注目を集め解読作業が開始された。…
【肉】より
…ギリシア神話ではプロメテウスが粘土から人間をつくり,エジプトの造物神クヌムも粘土から人間をつくっている。バビロニアではベール(バアル)神の首からほとばしる血と土を混ぜ合わせて人がつくられているし,オーストラリア,ニュージーランド,タヒチ,ペルー,アフリカその他においても,粘土や赤土から人間がつくられたとする伝承がある(J.G.フレーザー《旧約聖書のフォークロア》)。一方,北欧神話では逆で,巨人ユミルの肉から大地が生まれている(《グリームニルの歌》)。…
※「バアル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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