バターン攻略作戦(読み)バターンこうりゃくさくせん

改訂新版 世界大百科事典 「バターン攻略作戦」の意味・わかりやすい解説

バターン攻略作戦 (バターンこうりゃくさくせん)

太平洋戦争の開戦と同時に日本陸軍の第14軍(司令官本間雅晴中将)はフィリピンに進攻し,1942年1月2日にはマニラを占領した。しかし,この間,アメリカ・フィリピン軍は決戦を避けて主力バターン半島に撤収させ,以後堅陣に拠って激しい抵抗を行った。このため日本軍は大きな損害をこうむったが,兵力増強をえて4月上旬には同半島を攻略し,5月7日にはコレヒドール要塞を占領してフィリピン全域を完全に制圧した。なお,バターン攻略作戦の終了直後,日本軍は疲弊しきった捕虜を徒歩で移動させたため多数の死傷者を出し,また捕虜に対する暴行も行われたため,〈バターン死の行進〉として激しい非難を浴びた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「バターン攻略作戦」の解説

バターン攻略作戦
バターンこうりゃくさくせん

太平洋戦争開始後,日本軍のフィリピン作戦によりバターン半島・コレヒドール要塞まで退却した駐留米軍撃破作戦。米軍の兵力は9個師団を基幹とする約8万。1942年(昭和17)3月2日に作戦方針が内定し,南方軍第14軍(司令官本間雅晴中将)はバターン攻略にむかった。4月3日総攻撃開始,同月12日半島南部の掃討を完了,5月7日コレヒドール要塞を含む在比米軍は無条件降伏した。戦後のマニラ軍事裁判で,米軍捕虜を苛酷な条件下に移動させた「バターン死の行進」が罪に問われ,本間は死刑となった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android