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パナマ運河条約 パナマうんがじょうやく Panama Canal Treaty

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パナマ運河条約
パナマうんがじょうやく
Panama Canal Treaty

アメリカとパナマとの間で運河地帯の地位を取決めた条約。パナマ運河の使用・占有・管理権については,1903年のヘー=ビュノーバリヤ条約が中心的に規定していたが,パナマ側の改定要求に応じて,77年9月7日に「パナマ運河条約」「パナマ運河の永久中立と運営に関する条約」および「パナマ運河の永久中立と運営に関する条約の付属議定書」の3条約から成る新パナマ運河条約が調印され,79年 10月1日発効した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

パナマ運河条約
ぱなまうんがじょうやく

パナマ運河の法的地位を規定した条約。1903年アメリカはパナマとの間に運河条約(ヘイ‐バリーヤ条約)を締結し、運河の開削権、管理権、運営権、周辺の運河地帯の施政権を獲得した。1901年、運河の国際航行のための開放を規定した、米・英間のヘイ‐ポンスフォート条約とともに、長らくパナマ運河の法的地位を決定してきたものである。しかし50年代以後パナマ国内で高揚した反米ナショナリズム、さらに73年3月パナマで開催された国連特別安保理事会の圧力で、アメリカとパナマの間の新条約の締結が加速され、77年9月新運河条約ならびに運河の永久中立および運営に関する条約が、議定書とともに署名され、79年10月に発効した。これによって99年12月に運河の支配権はパナマに回復されることになったが、それまでは運河地帯の主権はパナマに復するものの、運河の管理・運営・防衛、運河地域と水域の平和的使用権などの特権がアメリカに認められた。99年12月31日正午、パナマ運河および周辺地帯がアメリカからパナマに引き渡された。また、2000年以後も、運河は中立および国際水路の地位に置かれるものとされ、有事の際はアメリカとパナマがそれぞれ運河防衛のための一方的な行動をとることが了解されている。[石本泰雄]

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世界大百科事典内のパナマ運河条約の言及

【国際運河】より

…そして,03年,アメリカは,パナマとの間にヘイ=バリラ条約を締結して,パナマ運河地帯を永久に支配する権利を獲得した。しかし,77年,アメリカは,パナマとの間にパナマ運河条約その他の条約を締結し,西暦2000年を期して,パナマ運河および運河地帯をパナマに返還することに同意した。【松田 幹夫】。…

【パナマ】より

…このようななかで,パナマは03年11月3日に独立した。合衆国は新政府を独立の3日後に承認し,パナマの全権大使と称するフランス人ビュノー・バリーヤP.J.Bunau‐Varilla(1860‐1940)と合衆国の国務長官ヘイJ.M.Hay(1838‐1905)の間で11月18日パナマ運河条約が調印された。この条約により,成立したばかりのパナマ共和国は運河地帯で二分されることになった。…

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